12.04.2014

HIKELOGUE 06 Southern Japan Alps



HIKELOGUE 06
Southern Japan Alps
18 - 24. September. 2014

Dialogue by Akira and Yumiko Natsume, Hideki Toyoshima
Movie by Hideki Toyoshima
Music by Takeo Toyama
Dialogue Sound mixed by Shinobu Koike ( Boo-san )

1日目 市ノ瀬〜地蔵尾根〜 松峰小屋
2日目 松峰小屋〜両俣小屋
3日目 両俣小屋〜北岳〜熊の平小屋
4日目 熊の平小屋〜由美子下山(付き添いで三峰岳まで送る)〜塩見岳〜三伏峠小屋
5日目 三伏峠小屋〜荒川岳前岳〜赤石岳 〜 百聞洞山の家
6日目 百聞洞山の家〜聖岳〜茶臼岳〜光岳小屋
7日目 光岳小屋〜池口岳〜遠山郷


12.01.2014

ハイキングの軽量ラグジュアリーアイテム

先日完成したHIKELOGUE06 - Southern Japan Alps でも出てきた軽量ラグジュアリーアイテムについて少し捕捉してみたいと思います。一緒に歩いた豊嶋さんが面白いものを色々と持ってきてくれました。ちょっとしたアイテムを持ってくるかどうかでハイキングの楽しさや気分、身体の回復度も変わってきそうです。



  お灸

 最近お灸にハマっている豊嶋さんからお灸を分けてもらいました。毎晩疲れている膝周りのツボにお灸をしたのですが、二日目ぐらいから少し具合が良いように感じました。効果の程はよくわからない所もありますが、なんかお灸をしている時間というのが良かったです。テントを締め切って2個程に火を付けると煙でテントの中が大変な事になります。

11.02.2014

アパラチアントレイルとONE

鎌倉ハイカーズミーティングのタープ講習でお世話になっているトレイルネームLoonことベーさんが2014年のアパラチアントレイルをONEを背負って無事スルーハイクされました。

10.07.2014

やっぱり行動食はおにぎりと麦茶で決まり


今回は行動食のお話です。

先日日本アルプス縦断ハイク北アルプス編に続いて小屋仕舞いする前に南アルプス編を終えてきました。(南アルプスの小屋仕舞いは早いですね)そのハイクで何が気に入ったかというと、ズバリ行動食です。

  焼米の袋メシと麦茶

山の行動食といえば昔はおにぎりと麦茶。この感じ最強かもしれません...。お米はかなり力強いパワーを身体に発揮します。毎日お米を炊いておにぎりを作るのは面倒ですが焼米ならすごく楽です。

9.11.2014

日本アルプス縦断ハイク北アルプス編 道具と食事の雑感

道具と食事の雑感を少々。


食事

今回せっかくある有人小屋で食事の補給を出来るかぎりとろうと考えて、食事を9日間のハイクで行動食含めて3kg程に押さえました。9日を終えてみると1/3程の食料がまだ残るという結果でした。有人小屋では、昼の時間にたどり着ければ、カレーやラーメンなどの昼食を食べられますし、もしその時間帯に到着しなくても、カップラーメンなどは大体購入する事が出来ました。またお酒のツマミやスナック類、チョコレートなども大体揃ってますので、行動食にも困りません。山小屋によっては、テント泊でも夕食の注文が出来る小屋もありますので、メインとなる食事(僕の場合は焼米とかクスクス&オーツ)を1kg程用意しておけば、今回の行程であれば繋げて歩けるかなと思いました。

 また、携帯の充電の出来る小屋(五竜山荘など)もありましたので、しっかりと情報を押さえておけば、大容量のバッテリーを持っていく必要もなくなり、 ベースウェイトを3.5kg以内に押さえると、5kg前後のパックウェイトで北アルプスをロングハイク出来る可能性が出てきます。そうなると、北アルプスをファストパッキングで遊ぶという事も充分に出来るのではないかと思いました。

 食料は大形のOPサックやジプロック等に入れて、フレームがわりになるように背中側にパッキングしています。

8.27.2014

日本アルプス縦断ハイク前編 装備表

8月27日〜9月9日まで山と道オンラインショップをお休みさせていただきます。
予定では親不知から御岳山まで 。
装備を出来る限りシンプルにしました。短いハイクに比べると、バッテリー類や救命セット等が重たくなっています。
せっかくの有人小屋を積極利用して食料を補給したいと思います。

*9/7訂正 
親不知から焼岳までのハイクに変更。
出発前の忘れ物、追加したものなどがありましたので、一部装備表を訂正しました。


8.21.2014

Hikelogue 05  Kujyu 28-3- January 2014



Hikelogue 05 

Kujyu 28-3- January 2014
Recorded at Yokoso, Beppu on 31.January 2014

Hikers: Issei Tamaoki, Akira and Yumiko Natsume(YAMATOMICHI)
Dialogue: Akira and Yumiko Natsume, Hideki Toyoshima
Movie: Hideki Toyoshima(gm projects)
Music: Autumnleaf
Sound Mix (Dialogue): Shinobu Koike(Boo-san)
 

8.20.2014

TJARの応援と御使い行ってきました。

トランスジャパンアルプスレース(以下TJAR)の応援と御使いに行ってきました。前回も参加された松浦選手からMINIで参加しますとメールを頂きました。松浦選手に購入頂いたのは随分前の話しだったし、今回の出場選手の名前に松浦選手の名前を見つけても、他にも色々なザックの選択肢があるのだから、本戦で選ばれるとは限らないよな。と思っていました。だからこそ、メールを頂いたのは嬉しかった。あの一番過酷なレースの相棒に選ばれるのはなんて光栄な事だろう。その後お客様から電話を頂き、ある理由から、早く出荷して欲しいとの事。その理由はTJARで使いたいという事でした。その他にも何人かMINIを使うらしいと噂で聞き、いてもたってもいられず、急遽応援に行く事にしました。実際にTJARの戦士が使っているところを見てみたい。TJARがスタートとする10日は台風が直撃し、稜線では風速40m以上の風が吹くという情報を知る。選手達がどのように行動するのか?僕は翌日に上高地から逆走する形で折立に向かう事にしました。

8.06.2014

ヒマラヤコーリング Q&A

イベントを開催してから2月程経過しました。数回に分けてイベントの振り返りレポートをさせていただきました。(三田さんありがとうございます!)実際はもっと濃く長い話が会場では流れましたが、どんな内容だったのか少しは理解いただけたのではないかと思います。イベントでは時間が押してしまい当日にスピーカーの方々とお客様とのQ&Aを実施する事が出来ませんでした。お客様からいただいた質問事項に対して時間がたってしまいましたが、ここにQ&Aを掲載させていただく事に致します。


Q&Aにお答えいただいたのはイベントに参加いただいた三田正明さん、根本 秀嗣さん、庄司康治さんになります。それぞれのお名前とイベントレポートをリンクさせていただきます。

質問を送ってくださった参加者の皆様ありがとうございました。
おまたせいたしました。

7.12.2014

HIMALAYA CALLING ふりかえり3 「ザンスカール 氷の回廊を行く冬の旅」庄司康治

 第三回目となるHIMALAYA CALLINGイベントレポート。今回もこの山と道ブログの場をお借りして、ライター/カメラマンの三田正明がお送りします。

HIMALAYA CALLINGのプレゼンテーションの最後を飾ったのは、映像作家の庄司康治さん。
早稲田大学探検部OBの庄司さんは最初のアフガン戦争の時代にゲリラのムジャヒディンたちとアフガニスタン・パキスタンの国境を越えたり、ネパールからチベットへと二頭のヤク(ヒマラヤ高地に住む毛長牛)と共に越え数ヶ月の旅をしたり、カトマンズからインドのレーまで1000kmを有に越える距離を歩いたり、ご自身言われるところの「Fanatic(狂信的・熱狂的)な旅」をし、ドキュメンタリー映像作家としてもヒマラヤの村や文化、野生動物や自然についての映像・番組制作に携われてこられた旅人の大先輩。
そんな信じられないような旅の体験を交えながらお話しいただいた今回のプレゼンテーションのメイン・テーマは、ヒマラヤ西方、インド最北部に位置するラダックとザンスカール。そこはインドとはいえモンゴロイドの人々が住むチベット文化圏で、中国併合後徹底的に文化破壊されたチベット本国よりも古く伝統的なチベット文化を色濃く残す場所として知られています。
厳しい環境で逞しく暮らす人々の話は、雨の西麻布に高地の乾いた風を運んでくれるようでした。


****************************************



「僕はFanaticな旅が好きで、これまで1000kmを超えるヒマラヤの旅は5~6回やりました。僕は好きなのがネパールやアフガニスタン、インドやパキスタン、ブータンなどの古くからある交易路を辿ることや、雪豹(ヒマラヤの山岳地帯に住む幻の動物)などの動物を見に行くことで、そういう旅のひとつで今日はヒマラヤ西部にある、自分のもうひとつのホームグラウンドと言えるインドのラダックとザンスカールの話をします。」

7.09.2014

HIMALAYA CALLING ふりかえり2 「地球の屋根に暮らす人々との旅~四人のライ族との山旅」根本秀嗣

今回もこの山と道ブログをお借りして、ライター/カメラマンの三田正明が引き続き2014年6月7日に行われた 山と道主催の“HIMALAYA CALLING"イベントレポートをお送りします。
ふたり目のプレゼンター、根本秀嗣さんはフリーランスの山岳ガイドで、グレートヒマラヤトレイル(2011年に正 式開通したネパール東部のカンチェンジュンガから西部のフムラまでを1700kmに渡って繫ぐロングトレイル)を日本に紹介する活動もされています。そんな山岳経験も豊富な根本さんの今回のプレゼンテーションは、パハールと呼ばれるネパールの中間丘陵地帯からヒマールと呼ばれる山岳地帯までを、パハールに住むライ族の青年たちと36日間に渡って歩いた旅の記録です。
現地の人々にとけ込みながら標高数千mの峠をいくつも越え、亜熱帯のジャングルから標高6189mのアイランドピ ークにまで至る根本さんの旅は誰にでもできるものではありませんが、誰しも「いつかはこんな旅をしてみたい」と思わせるに充分なプレゼンテーションでした。


========================================




「こんばんは、根本秀嗣と申します。今回は私が2年前から計画をして、去年36日間に渡ってしてきました、ネパールの田舎のほうのエリアから入ってその土地に根ざして生きている四人の若者にサポートされながら6000m級 の山をひとつ登ってきた旅を、ひとつのヒマラヤの旅のスタイルの例としてお話させていただきます。」

7.05.2014

HIMALAYA CALLING ふりかえり1 「ヘランブー・ランタン・トレック~カトマンズからヒマラヤまで歩く旅~」三田正明


山と道ブログ読者のみなさまはじめまして。ライター/フォトグラファーの三田正明と申します。
今回、光栄にも山と道夏目さんからのご指名を受け、これから数回に渡って2014年の6月7日に東京西麻布のCALM & PUNK GALLERYで行われた山と道主催のトークイベント“HIMALLAYA CALLING”のイベントレポートを勤めさせていただきます。実は自分も登壇させていただいたイベントなのでどこまで客観的にお伝えできるか自信がないのですが、どうぞよろしくお願いします。

さて、このブログの読者の方々ならご存知の通り、山と道のお二人がこの春にヒマラヤを旅したことに端を発するこのイベント。お二人が出発前に相談した自分を含む4人のヒマラヤ経験者を招き、それぞれの視点でプレゼンテーションを行うことで「深く大きい」ヒマラヤの魅力を紹介しました。

さらに京都のプラントラボさんにより、ネパールを旅するトレッカーならば一度ならず食べることになるネパールの超名物料理「ダルバート」のケータリングも供され、マサラの香り漂う会場はヒマラヤ一色に染まりました。

個人的にもヒマラヤはこれまでもっとも衝撃を受けた山域であり、ネパール・ヒマラヤならばロッジ文化が定着しているためキャンピング装備を携行しないで身軽に旅ができ、また物価も非常に安いためガイドやポーターを雇わなければ(一般のトレッキング・ルートならば問題なく旅ができると自分は思います)コストの面でもライトウェイトに済むため、是非ハイカーにこそ旅をしてほしいとかねがね思っていました。

今回のプレゼンターの方々はそれぞれが写真家であったりトレッキングガイド経験者であったり映像作家であり、プロフェッショナルな立場でヒマラヤに携わってきたため、スライドショーの内容も非常に内容が濃く、美しい写真も多かったように思います。

それを会場に訪れた人だけでシェアしているのはあまりにももったいない!

というわけで、このアーティクルでは会場に来られなかった人にもイベントを追体験していただきたく、当日のプレゼンテーションの様子をなるべくノーカットでお送りしたいと思います(ダルバートは食べられませんが…)。少々長くはなるかとは思いますが、これから始まる記事がいつかヒマラヤへ行こうという人への旅のヒントや助けになれば幸いです。

===============================
=========

HIMALAYA CALLING  プレゼンテーション♯1「ヘランブー・ランタン・トレック~カトマンズからヒマラヤまで歩く旅~」三田正明

さて、第一回目のイベントレポートは、何を隠そうワタクシ、三田正明のプレゼンテーションから始めさせていただきます。
自分はまだ山を始めて間もない頃にヒマラヤのアンナプルナ山群を訪れて衝撃を受けて以来本格的に山にのめり込み、気がつけばライター/カメラマンの仕事もほぼアウトドア関連専門になった男です。
それからヒマラヤにはエベレスト山域、今回のテーマであるヘランブー・ランタン山域と、数年おきに三度訪れているのですが、他のプレゼンターの方々のように普通の人ではなかなか歩けないようなところを歩いたり、たくさんの場所を知っているわけではありません。
ですが、あえて普通の旅行者目線で、一般的なトレッカーがソロでヒマラヤを歩いたらどんなことを感じるかを、去年の春に歩いたネパールのヘランブーとランタンのトレイルに絡めてお話させていただきました。

**********************************
*******

 

「こんばんは、ライターとカメラマンをしている三田正明と申します。今日は去年の春に2週間弱かけて歩いたヘランブー・ランタン・トレックというトレイルについてお話させていただきます。ヘランブー・ランタンと言ってもまったく知らない方も多いかと思いますので、まずはこの場所について簡単に説明させてください。ヘランブーとランタンはエベレスト街道やアンナプルナ周遊と並ぶネパールの三大人気トレイルのひとつで、それぞれ独立したトレイルなのですが、隣り合っているため繋げて歩く人が多いので一緒くたに語られることが多いトレイルです。」

6.25.2014

Customer report / MINI 小野 雅弘選手

小野 雅弘選手から御連絡をいただいたのはいつだっただろうか。 
過去のメールを見てみると、2012年12月のメールがはじめだった。
トランスジャパンアルプスレース(以下TJAR)でミニマリストパッドが活躍したとメールをいただき弊社のMINIに興味があると連絡をいただいた。TJARは日本海から太平洋までアルプスを横断する日本で一番過酷で、かつ心を揺さぶる山岳レースだと僕は思う。レースとは言うものの、NHKでTJARのドキュメンタリーを見た人は、そこに順位の良し悪しを越えた、そのレースに参加した人達の"山"のドラマに感動を憶えたのではないだろうかと思う。
 その当時 TJARへの感動が覚めない中(TV放送は同年の10月だった)小野選手からの連絡を受けて大変うれしかった事を憶えている。そこで僕は小野選手に、一度サンプルを使ってみて、良かったら購入していただきたい。そしてもし良かったらMINIのレビューを書いて欲しいと図々しく頼んだのだ。

小野選手がMINIをテスト使用後に購入されてから1年以上がたち、まだMINIが良いと思っていただけるなら質問に答えて欲しいと再度連絡をとらせていただいた。以下は私から小野選手への質問とその回答である。




6.21.2014

HIKELOGUE 04 - Kita Alps



Kita Alps 27 August - 14 September 2013
Recorded at Hiker's Depot

Dialogue by
Tomoyoshi Tsuchiya, Akira Natsume, Hideki Toyoshima
Movie by Hideki Toyoshima
Musuic by Subtle
Dialoge Sound Mix by Shinobu Koike (Boo-san)

All rights reserved.


6.18.2014

山と道ハイカーウォレット


普段生活していて割と道具のデザインで気になるのが財布だったりします。
使い易さとか、大きさとか、柔らかさとか、使いにくいと普段の生活がイライラしたりします。山では防水性、軽量性、携帯したときの柔らかさとかなどの理由でジプロックを財布として使ってきました。ジプロックは上記の理由で割と使い易くはあったのですが、少しサイズが大きくすぎたりとか、小銭とお札が混ざりあって、少々使いにくさが気になっていました。そこで小銭入れスペースを付けた満足いく財布を作りたいと思い「山と道ハイカーウォレット」を自作してみる事にしました。


 <用意した物> 横幅が大きすぎない(二つ折した冊がゆったりと収まるサイズ)ジップ袋2枚、ホットカッター、鉄定規、カッター。


6.17.2014

森勝探検隊 奥多摩洞窟探検に行く!


森勝隊長の元奥多摩の某洞窟探検に我らスタッフは向かった!



 黄色いバックを正面にも背負っているのが森勝隊長。都内で30名いるかいないかと言われるケイビングを行い、かつ今でも新しい洞窟を探索発見しているチームに所属している。いわゆるプロという奴だ!巷では低山研究家として人気ブログを書いている。僕ら2名の他に、奥多摩御岳駅前に中古登山道具屋兼ツリークライミングを開催している「マウンガ」の3名、総勢6名の探検隊が結成された。モリカツ隊長以外の5名は洞窟探検がはじめてというズブの素人である。 森勝隊長曰く、「今日は半殺しで行くから。」

6.10.2014

僕たちのヒマラヤハイクのコストについてあれこれ

僕たちのヒマラヤハイクのコストについて少しまとめてみます。


<飛行機代について>

羽田からカトマンズまでの経由便が検索出来なかったため、AirAsia X の便を別々に取ってカトマンズを往復しました。一旦経由地で出国したりとか面倒だったので、電話で問い合わせて、目的地までのチケットを取れるように手配すれば良かったと思っています。

AirAsia X 

羽田 →クアラルンプール
クアラルンプール→羽田
2名分118,300円
クアラルンプール→カトマンズ
2名分 39,485円
カトマンズ→クアラルンプール
2名分50,551円
合計:208,336円
*映画等のサービス無し。 結局高くついたなと思っています。

ネパールの入口はカトマンズになります。日本からの直行便は無く(2014年現在)、経由便となるため、経由地で一泊するなど、時間とコスト、飛行機からの展望等が天秤にかけられます。飛行機代は5〜10万円(燃料代込み)で購入する事が可能です。
僕たちはエアアジアXを使ってクアラルンプール経由でカトマンズまで入りました。週末の金曜日深夜、羽田発着の便を使い、経由地で一泊する事無く翌日にカトマンズに入る事が出来ました。 一番安いのは中華東方航空。4万円代から往復チケットが入手出来そうです。時間はかかりそうですが、展望も良さそうです。
展望が一番良いのは、中国の成都経由でチベットのラサを経由してカトマンズに入る便だそうです。イベント『ヒマラヤコーリング』で鈴木さんが発表されてましたが、ヒマラヤ上空、エベレストのすぐ近くを飛んでいくので、ものずごい迫力ある景色を飛行機から見れるそうです。

*飛行機はスカイスキャナーで基本調べています。


5.25.2014

HIMALAYA CALLING





HIMALAYA CALLING

ヒマラヤはすごい山でした。私達のハイクの記録は、深く大きいヒマラヤの一部でしかありません。山の魅力、文化の魅力、風土の魅力...。私達はもっとヒマラヤの事が知りたくなりました。私達のヒマラヤハイクの相談役を買って出てくださった鈴木さん、根本さん、三田さん、庄司さんの4名をゲストにお招きして、ヒマラヤの魅力についてお話いただく場を設けました。講演の後にはネパール料理を食べながら、ゲストと共に懇談会を開催致します。今回の会の為に京都よりプラントラボ(電気食堂としても知られています)がやってきます。ネパールの定食ダルバートを作っていただく予定です。



5.15.2014

ヒマラヤ日記 18日目


マルファという村のホテルでこれを書いています。
時刻は午後の6時前。村外れのムスタンミュージアムを見学して、朝9時頃にジョムソンを出発しました。今日も強風が吹いています。風が強いこの大きな谷は、ウインディヴァレー、風の谷と呼ばれているそうです。ジープロードを1時間程歩いて今回のハイクのゴール、マルファ村に到着しました。聴きしに優る美しい村です。観光地としても人気が高いのか、お土産屋さんの客引きが少し多いです。その点が残念で、観光には良かったけどハイクには少し蛇足だったかも。今一気に疲れを感じています。午後から崩れた天気がそれに拍車をかけます。明日は、バスでベニという街を経由してポカラに向かう予定です。もう少し時間を置いて今回のハイクを振り返りたいとおもいます。牛や馬や、ミュール達が奏でる美しい鐘の音、鶏の鳴き声。街歩く人の歌声のような響きともそろそろお別れです。時間がたったら懐かしく思い出すのでしょう。

 ジョムソン

5.14.2014

ヒマラヤ日記 17日目


今ジョムソンのゲストハウスでこれを書いてます。
時刻は夜の8時30分。夕食を食べてベッドの中です。このハイクをトロンパスを越えてムクナートで終わる事も出来ました。何故なら、ムクナートまでジープが入る事が出来るから、そのままポカラまで帰る事も出来ます。(ガイドさんはチャーターしてポカラまで帰れると言っていましたが、実際は乗り継ぎになるようですので、当日中にポカラまで帰るのは難しそうです。)でも、ハイクは終わりません。今日歩いた道も中々壮大でした。村々を繋ぐ道も、これまでとはまた違った魅力に溢れていました。途中崖の向こうに、はるか昔の遺跡のような場所も見る事が出来ました。マナスルサーキットからここまで来ましたが、景色だけでなく、身体で感じる乾いた感じや、風土など、峠を越える度に新しい国に辿り着いたように感じます。これをジープで通り過ぎるのは勿体無い。行った事はありませんが、中南米の何処かを歩いているように感じました。そして、いつも食べるダルバートの味も変わっていきます。特にここムスタン(この辺りの県?)の味は格別に美味しいのです。お酒もこのあたりのロクシーは、アップルブランデーという名で、リンゴから作るロクシーを味わう事が出来ます。元々は、今日泊まっているジョムソンを今回のヒマラヤハイクのゴールとしていたのですが、ジョムソンから一時間程先のマルファという街がとても美しいと聞き、マルファを僕らのゴールとしました。今日は本当はゴールのマルファという街迄行く予定だったのが、途中お昼を食べたエクレバティ(一軒茶屋という意味)からジョムソンまでの道程が台風のような強風で由美子が疲れてしまい、このジョムソンに泊まる事になりました。強風の中歩きながら、ガイドのスバシさんがこの時期のジョムソンは午後から風が強くなると言っていた事を思い出しました。噂ではジョムソンはムクナートみたいな開発された大きな街と聞いてましたが、川沿いの柳ような木は美しく、通りには所々石畳がしかれ、大きな学校に通う制服姿の子供達。良い雰囲気の街です。久しぶりに熱いシャワーも浴びれたし、ハイクを始めてから割と全うなWi-Fi環境に始めて出会うこともできました。街の中、道路に寝ている犬に混じって牛が犬のように其処らで寝ていたり、勝手気ままに散歩している姿は面白くも感じます。また、露天でアンモナイトの化石を売っていてまさか本物じゃないよなと思ってネットで調べてみたら本物のようでした。街の横に流れる川で化石が取れるようです。そういえば、ここに来る途中、黙々と石を割っている人を見る事がありました。ヒマラヤは昔は海だったという話しを思い出すいいお土産になりそうです。明日はゆっくりと最後のハイクを楽しもうと思います。

 ジャコットの村

5.13.2014

ヒマラヤ日記 16日目


今はジャコットという村の小さなホテルの部屋でこれを書いています。時刻は4時。今日はトロンパスを越えて来ました。ハイキャンプからトロンパスを越えるのに通常朝の4時30分に出発します。その時間だとまだ暗いので僕らは少し明るくなってくる5時過ぎに出発しようと考えていました。朝4時頃に起きて、外を見てみると、少し雲が出ています。これまでの経験だと早いうちに天気が崩れる予感がします。4時30分頃に多くの人達が出発して行った後、まだ暗い中5時少し前に僕達も出発しました。ハイキャンプの下に泊まっていた人達もどんどんと上がってきました。(部屋が空いていない人や、少し高山病の疑いがある人は下に泊っていた模様)気温はー15度程。雪の斜面をトラバースしながら、トロンパスを目指します。先行パーティよりも30分程後に出発したのにもかかわらず、すぐに渋滞に遭遇しました。中々進まないのにイライラとしておりましたが、途中、この高度、雪の中にもかかわらず、ティーショップが営業しており、それを過ぎた辺りから、徐々に人数もまばらになってきました。景色は、マナスルサーキットのラルキャラパスの方が幾分壮大な景色です。歩き始めて3時間程で、トロンパスに到着しました。聞いてはいたのですが、この峠にもティーショップがあります。少々値は張りますが、ここで暖かいミルクティーを飲んで温まりました。天気は更に崩れてきて少し雪もぱらついています。風が無いのが幸いです。峠を越えた向こうに、まだ知らない山々が視界一杯に広がります。あの向こうに行きたいと心を掻き立てられます。雪で埋れたトレイルは、標高が下がると共に所々凍った箇所が出てきました。僕らはスパイダー(軽アイゼン)を持ってきていたので、快調に降りる事が出来ましたが、殆どの人が何も準備していないようです。1400m程雪の中一気に高度を下げる下山はかなり大変だったのではないでしょうか。特に普通のスニーカーで何十キロもありそうな荷物をこの雪の中運ぶポーターさんは、少し尋常ではありません。時々滑って転んだりしてました。雪の斜面で転ぶという事は、転んだ場所が悪ければ下まで滑落する危険性もあります。ほぼ多くの人がガイドさん、ポーターを付けて歩いているのにも関わらず、軽アイゼンなどの道具に関しては、全く頓着は無かったようです。この雪と天候と高度を考えると、日本では考えられません。例年であればこの時期トロンパスは雪が無いらしいのでそのせいかもしれません。もしかしたら出発前は雪が無かったけど、ここ1週間ぐらいの天気の悪さで雪が積もったとも考えられます。ヒマラヤに来る人は軽アイゼンなどの装備はガイド会社が何も言わなくても準備された方が良いと思います。僕らは雪道も夏道も両方味わえたので楽しくて満足しました。


5.12.2014

ヒマラヤ日記 15日目


今、トロンパスの手前のハイキャンプのロッジでこれを書いています。標高は4887m。驚くことにこんな高所まで立派なロッジがあるのです。ロッジは明日トロンパスを越える人達で溢れかえっています。これまで幾つかのロッジに分散していた人達がハイキャンプただ一つのロッジに集まるのだから当然といえば当然かもしれません。僕らは部屋を取る事が出来ましたが、遅く来た人は部屋が取れないのではないかと心配します。テントを張るにも雪融けの地面はぐちゃぐちゃで余り宜しく無い感じです。まだハイシーズンではない今この状況ですので、秋のハイシーズンは、部屋に泊まるのは至難の技かもしれません。このロッジの食堂を見渡すと殆どが白人です。アジア人はガイドポーターを除いたら5%いるかいないか。黒人系はゼロです。このロッジのすぐ下のロッジは、音楽もいまどきで、ここはどこのヨーロッパだ。と思うような雰囲気で驚きました。






朝の気温は-10℃程 地面も凍っている。 

5.09.2014

ヒマラヤ日記 14日目


ヤクカルカ(ヤク牧場)のロッジでこれを書いてます。
標高は4000m。午後0時45分。昨日泊まったマナンは、とても美しい村でした。丘の上から見る朝のひかりに照らされた村、棚田、川、湖、山が一枚の絵のように美しくそこにあります。村の中に、小さなミュージアムが一軒あるのですがオススメです。79年に撮った古いマナンの村の景色と、現代の景色を比較して展示しています。面白いのが、昔の写真に写っていた村の子供や若い女性を、現代で見つけ出し、昔と今の姿と合わせて展示をしているのです。村の人家は何も変わらず、多くのロッジが何も無かった所に立ったのが良く分かりました。

 左中腹にマナンの村が見える。

5.08.2014

ヒマラヤ日記 13日目


今はマナンという大きな村からこれを書いてます。
時刻は午後3時頃。標高は約3500m。昼頃に到着しました。泊るホテルでWi-Fiのパスコードを購入して、幾つか仕事をこなしたのですが、天気が悪くなり、雪が降り始めたら、Wi-Fiも動かなくなりました。それで諦めてこれを書いている次第です。ロッジの部屋の窓からは、雪が降る寒々しい景色がなんだが良い感じです。今日の道もジープロードがメインでした。しょっ中、地元のバイクが走り去っては、土煙りをたてていきます。並行して山沿いに歩くルートもあるのですが、600m程のアップダウンがあります。ガイドさんに導かれるままに下の道を歩いてきました。途中小さな飛行場がありました。道沿いの景色は昨日同様素晴らしく、アンナプルナ3や、ギャンガプルナが左手に良くみえました。右手には、今回諦めたカンラパス方面の奥マナンの山々。前にはティリチョピークが見えます。朝、このティリチョピーク(7134m)に登るドイツ人の青年と朝偶然再開する事が出来ました。何日かけて、ピークまで行くのかと質問した所、4~5日かけてゆっくり高度順応しながら攻めると言っていました。無事登頂される事を祈りたいです。




5.06.2014

ヒマラヤ日記 12日目


今は翌日の朝5時30分。ロッジで起きた所です。昨日は、チャメからピサンという街まできました。標高は3200mほど。先を急ぐというよりもゆっくりと歩いて、2時頃には村に着きました。チャメからの道は、様々な年代の人たちが多く歩いています。人の多さと、若い世代の多さは、マナスルサーキットとは全く違います。途中出会ったスペイン人のカップルが、トレイルの風景をユタ州(アメリカの)みたいと言ってました。確かに、乾いた感じとか雰囲気が、まるで西部劇の舞台のようです。乾いた暖かい天気に風がとても気持ち良い小春日和な一日でした。ガイドさんいわく、この時期のアンナプルナサーキットは午後から強い風が吹くそうです。


 翌日のマナンまではジープロードだった(このジープどこから入ったんだろう。)

5.05.2014

ヒマラヤ日記 11日目


今はチャメという村のロッジでこれを書いてます。
時刻は午後3時。カンラパスを諦めて、ダラパニからアンナプルナサーキットを歩き出しました。ガイドさんとここで別れる事もできましたが、行程的にも余裕が出来たので、ユルハイクと割り切って契約日までガイドしていただこうよ。という由美子の言い分に乗って、せっかくなので満了日まで引き続きガイドして頂く事となりました。ダラパニから、今日到着したチャメまでは、ジープが入る事が出来ます。昔は、本当の意味でのサーキットという形で2週間程かけて、下からぐるりと回っていた道も、ジープでチャメまで着て、トロンパスを越えて次の村でジープを乗り継いで街まで帰る事も出来ます。ジープロードというのは存外つまらないものですので、こういったコースで歩く人が今は多いのではないでしょうか?アンナプルナサーキットへのアクセスを合わしても一週間程で歩ききれます。先ほどチャメ迄の道はジープロードと書きましたが、一応面白味を出すために、ジープロードとはまた違う山道を、ジープロードのショートカットとして用意してあります。所々急な山道とジープロードを交互に歩く感じです。村やロッジは至るところにあり、ゆるく、風が気持ち良いハイクを楽しみました。お昼ご飯を待つ一時間もお昼寝タイムと考えると丁度良い頃合です。歩く人も多くなり、マナスルサーキットのように、ポーター数名とガイドさんという組み合わせも減り、個人トレッキングや、グループにガイドさん一人というシンプルなハイカーが増えました。チャメの手間にあるコトという村で、パーミットのチェックと、ナー村、カランパスへと向かう分岐があります。両側を凄い高さの断崖に挟まれた道をゆくそうです。パーミットをチェックしている人に、ここ一週間でそっちに向った人はいるか聞いてもらった所、ナー村、プー村まで行って戻ってくるグループを昨日一組いたが
カンラパスに行った人はいないとの事です。
今日も午後になると天気が悪くなってきました。今日も高所は雪でしょう。チャメはWi-Fiが入ると聞いてよろこんでいたのですが、アンテナは立っているのに全くアクセスもダウンロードも出来ません…。今、霰が振ってきました。雷の音もします。急に荒れ模様の天気に変わりました。洗濯もして、ホットシャワー(温度調節が、凄く難しく、ポタポタとしか出ない)も浴びたので、食堂にお茶でも飲みにいきます。

 セーフドリンキングウォーターステーション

 ヒマラヤでペットボトルの水を購入する事を止めるように言われています。
どこのロッジや商店でもペットボトルの水を販売しているのですが、そのペットボトルがゴミになって問題になっています。アンナプルナサーキットでは、定期的に濾過した水を安く販売するセーフドリンキングウォーターステーションが設置されています。


 どの村もロッジが一杯だけど、ホームステイもまだ受け入れている所があるという事かな。

5.04.2014

ヒマラヤ日記 10日目


今ダラパニという村のロッジのベッドでこれを書いてます。
時刻は夜の8時。ダラパニとは水道水という意味らしいのですが、水道は通っていません。今日でマナスルサーキットは終わりました。 
人の暮らす地域を通過していく旅なので、ステルステント泊などは似合いません。逆に失礼でしょう。ロッジのベッドで起きる度にここはネパールなんだと毎度思い出しています。快適過ぎていつものミニマルな山の旅の暮らしとは異なります。

 
 ビンタンのロッジの部屋の窓からの景色

5.03.2014

ヒマラヤ日記 9日目


今はビンタンという村のロッジでこれを書いています。
時間は夕方の6時30分。とうとうラルキャラパスを越えてきました。朝4時30分に出発して、到着したのは5時。ものすごく疲れました…。

 高地のハイクをなめてました。
まだ暗い中出発して直ぐに、ガイドさんが道を間違えました。トレイルとはまた違う道に入りこんでしまったようです。GPSで場所を確認していた所、何処からか掛け声が聴こえてきます。僕達が道を間違えていることを教えてくれていたのかもしれません。ガイドさんが彼等に呼びかけて、道の場所を教えてもらって無事トレイルに戻る事が出来ました。彼等はネパール人の家族で、小さい子供をカトマンズの学校に送り届ける為に、ラルキャラパスを越えていくそうです。学校に行くのに凄い道のりです。途中ダルマサラというキャンプサイト(建物で眠れる部屋もある)で朝食を食べました。200m上がるのに一時間を目安にゆっくりと上がっていきました。景色は、壮大過ぎて言葉では上手く説明が出来ません。





5.02.2014

ヒマラヤ日記 8日目

今同は午後12時。同じロッジの食堂でこれを書いています。
昨日の夜高山病の薬ダイナモックスを二分の一づつのみました。この薬は利尿作用があるらしく、夜中に何度もトイレに行きました。朝起きると僕の小さな頭痛は無くなってましたが、由美子はまだ少し気持ち悪さを感じるといいます。食欲は全くない訳ではなく、オニオンスープと茹で卵を食べる元気はあるので、一日滞在して様子を見る事にしました。昼には由美子の気持ち悪さも無くなり昼食は割と普通にお互いに食べれそうです。



5.01.2014

ヒマラヤ日記 7日目



今は16時18分、
標高3875mのサマドという場所のロッジの食堂でこれを書いてます。とうとう今日マナスルサーキットの盟主、マナスルを通過しました。
日本人が始めて登頂した山です。これまで見てきた山々の景色も壮大で素晴らしいのですが、8000mを超える山をまじかで見ると、壮大さを超えて神々しくも感じるのです。 


 マナスル半端無くかっこ良い。気分が上がる。


上の方にある建物はゴンパ(チベット仏教のお寺)山の景色が良く見える場所に建てられている事が多い。聖山という事なのだと思う。山名はサンスクリット語で「精霊の山」という意味らしい。

4.30.2014

ヒマラヤ日記 6日目


今は午後8時36分。
リーという小さな村のロッジで眠りながら書いてます。今日は素晴らしい一日でした!山はより深さを増し、木々は春の新緑が彩り、周りは富士山を超える高さの山々に覆われています。2000mを越える岩壁の至る所から滝が流れてます。岩壁の上部は、雪がついているか、部分的に凍っていて、変な感じに反射して目のピントが合いません。それらの岩壁の向こうに6000mを超える山がそびえたっているのです。



4.29.2014

ヒマラヤ日記 5日目


今は夕方の5時。
今日泊まるデンという村のロッジでこれを書いてます。今日はパーミットのチェックポイントを二つ通過しました。関所を通過しながら峠の茶屋で休む僕らのスタイルは、江戸時代の東海道五十三次に近かったのではないでしょうか。道沿いには村々に荷物を運ぶ馬に変わってミュール達が列を成し、籠の代わりにポーターが荷物を運び、観光しながら歩き続けます。東海道もヒマラヤと同じく道沿いにはお店や宿が溢れていたのでしょう。ハイクは三日目。遠くに雪をかぶった5000mを越える山が見えてきました。景色は徐々に壮大さを増してきています。 



 2000mを越える崖のような斜面の中腹に村が見える

4.28.2014

ヒマラヤ日記 4日目


ナマステ!今はドバンという村で昼食休憩中です。
頼んでから出来上がるまで一時間程かかります。ここも最近出来たロッジのようで、コンクリートも、レンガも使わずに、石を積み上げて綺麗な二階建ての建物を作ってます。これなら下から資材を持ってこなくてもあらかたの材料は現地調達出来ます。

 ダルバート
 定食の意味。ネパール人は毎日ダルバートを食べていると言われています。
御飯に、ダルというスープ。スパイスで味付けしたタルカリ(ジャガイモがメイン)、サグ(野菜)、アチャール(漬け物)が基本付いてきます。頼むとほぼ、同じ分量をおかわりで持ってきます。
 

4.27.2014

ヒマラヤ日記 3日目


今マチャコーラという村のロッジの食堂でこれを書いています。
地元のローカルビール(ガイドさんは濁酒という)を頼んでみると、ビールとは思えない、マッコリを薄く酸っぱくして味が余り無い凄まじいお酒がデカイプラスチックのピッチャーで出てきました…。お酒の匂いにつられてハエは沢山寄ってくるし、凄い有様となっています。ガイドさんも笑っているし、何か浮いているし、さすがに飲み干せそうにはありません。

 
村の名前のマチャは魚という意味で、ロッジの入り口では魚の網を編んでいました。ソティコーラから、ここまでの道のりは、下を見ると百メートル以上あるような断崖絶壁の道をずっと歩いてきたのですが、驚く事に、この村のロッジは、コンクリートのビルディングです。しかも二軒も。ロッジのメニューを見ると、たくさんのお金をかけて、ミュール(ロバのような馬がそうだった)で沢山の荷物を運び、苦労して建てたロッジなので、沢山お金を使ってほしい。と書いてありました。そういえば、僕達も道中、建築資材を運ぶ200頭を超えるミュールの渋滞に巻き込まれて、中々前に進む事が出来ない場面がありました。沢山の荷物を背負ったミュール達が、牧童に囃し立てられて、時には石を投げられて、前に少しづつ進みます。ミュールに付けられた大きな鐘が鳴り響くその群は、壮観でもあり、少し哀れにも感じます。ここまでの道は、ミュールが通れるような生活の道なので、JMTと同じように歩きやすいです。道の至るところに、登山客や、牧童や、道ゆく人々を相手にした商店や食堂があります。ロッジやホテルも至る所にあり、まだ建設中の建物も多く目につきました。村の棚田は今はトウモロコシを植えて、その後にお米を育てるようです。途中で食べたダルバートのお米は地場のお米かとガイドさんにきくと、ミュールで町から運んできたお米との事でした。