7.12.2014

HIMALAYA CALLING ふりかえり3 「ザンスカール 氷の回廊を行く冬の旅」庄司康治

 第三回目となるHIMALAYA CALLINGイベントレポート。今回もこの山と道ブログの場をお借りして、ライター/カメラマンの三田正明がお送りします。

HIMALAYA CALLINGのプレゼンテーションの最後を飾ったのは、映像作家の庄司康治さん。
早稲田大学探検部OBの庄司さんは最初のアフガン戦争の時代にゲリラのムジャヒディンたちとアフガニスタン・パキスタンの国境を越えたり、ネパールからチベットへと二頭のヤク(ヒマラヤ高地に住む毛長牛)と共に越え数ヶ月の旅をしたり、カトマンズからインドのレーまで1000kmを有に越える距離を歩いたり、ご自身言われるところの「Fanatic(狂信的・熱狂的)な旅」をし、ドキュメンタリー映像作家としてもヒマラヤの村や文化、野生動物や自然についての映像・番組制作に携われてこられた旅人の大先輩。
そんな信じられないような旅の体験を交えながらお話しいただいた今回のプレゼンテーションのメイン・テーマは、ヒマラヤ西方、インド最北部に位置するラダックとザンスカール。そこはインドとはいえモンゴロイドの人々が住むチベット文化圏で、中国併合後徹底的に文化破壊されたチベット本国よりも古く伝統的なチベット文化を色濃く残す場所として知られています。
厳しい環境で逞しく暮らす人々の話は、雨の西麻布に高地の乾いた風を運んでくれるようでした。


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「僕はFanaticな旅が好きで、これまで1000kmを超えるヒマラヤの旅は5~6回やりました。僕は好きなのがネパールやアフガニスタン、インドやパキスタン、ブータンなどの古くからある交易路を辿ることや、雪豹(ヒマラヤの山岳地帯に住む幻の動物)などの動物を見に行くことで、そういう旅のひとつで今日はヒマラヤ西部にある、自分のもうひとつのホームグラウンドと言えるインドのラダックとザンスカールの話をします。」






「夏。 今では状況が違うと思いますが、ラダック・ザンスカールはネパールと違ってロッジがないので、荷物は全部自分で担ぐか、キャラバンに便乗して行きます。ネパールと違うのは、木がほとんど生えていないんですね。それに大きい山もあまり見えません。ですがここはインドなのですがチベット文化圏で、中国のチベットよりも伝統的な古いチベット文化がよく残っているところが魅力です。」



 
「収穫の時期。これは青麦の一種ですが、これを粉にして食べるのが主食です。この少年の写真の後ろに見える家の二階の部屋に、僕は行くといつも泊めさせてもらっていました。おばあさんが脱穀していますね。」











「お坊さんたちがとある儀式のために集まってきます。これはザンスカールのリンチェという村のお寺ですね。標高4200mくらいの丘にへばりつくようにして建っています。この村のドキュメンタリー番組を作ったとき村のおじいちゃん、おばあちゃんと約束して、次に訪れるときにそのとき撮影した映像を見せるためにバンコクで14インチのテレビとビデオデッキを買って、馬に乗せて運んでいきました。そのとき自分で撮影した番組以外に持って行ったのが、クジラのドキュメンタリーと映画の『ジュラシックパーク』と『白雪姫』。それまで海を見たことがない人がほとんどなので、クジラのドキュメンターでは『海ってのはこんな化け物がいるのか!』と。そのあとに『ジュラシックパーク』を見たら、アメリカには恐竜がいると本気で信じてしまった(笑)。そして最後は『白雪姫』 を見て、みんなで『ハイホー』をして(笑)、ハッピーな時間を過ごしました。」








「秋。そうこうしているうちに、木は無いですが葉っぱは色づいてきます。ここにジグザグに走っているのは家畜を連れていく生活道ですね。ヒマラヤにはメインの交易路もありますが、こういうふうに 生活道が無数に通っているので、組み合わせでいかようにも旅をすることができます。」











「秋から季節は冬に変わります。冬になるとラダック・ザンスカールはお祭りがいっぱいあります。最近でこそ旅行者もたくさん訪れますが、この時代は非常に少なかった。これはレーという街のメインストリートで五体投地(仏教で最上級の敬意を表す礼法)をしている人たちですね。」


 






「リンチェの冬の子供たちの通学路です。丘の向こうに見える家に帰るところですね。近そうに見えますが、向こうまでは2時間くらいかかります。これが学校ですが、もうほとんど青空学校ですね。ノートも普及してきていますが、木の板をノート代わりにして、泥のインクで字を書いたり消したりして勉強しています。」

 









「冬の間凍ったザンスカール川の上を、村の人たちは交易の旅に出ます。夏の間は畑仕事をして、冬になると自分たちの村で採れたバターとかチーズを現金や生活物資に変えに行くんです。夏の間は山道を通って5日から一週間かかる場所へ、冬の間は凍った川の上を行くと2~3日で行くことができます。村の人たちはここを年1~2回往復して、自分の村の物資を生活物資に変えるんですね。」










「寝る場所は川沿いにある段丘の洞窟です。ここは何百年も使われてきた洞窟で、たき火の灰が何十センチも積もっています。ここは木が少ないところなので薪をどうするかというと、午後2時、遅くとも三時くらいには1日の行程を切り上げて、細い沢筋を2時間くらい登っていくと意外と細い木が生えていて、そこから背負って集めてきます。洞窟でキャンプしている間に水が流れてくると停滞しなくちゃならなくなって、洞窟の中で何日間も停滞したこともあります。」

 

 All photos:  ©庄司康治 









「僕はこの冬の道を13往復と2回の片道を行ったことがあるんですが、あえてこの洞窟の中で一ヶ月くらい過ごして、雪豹が出るのをずっと待って撮影していたこともあります。これは雪豹の足跡ですね。こちらの写真は雪豹がアイベックス(山岳地帯に住む野生のヤギ)を襲って食べた後です。僕が雪豹に出会ったのは5回くらいあって、4回はこのエリアで、1回はネパールで。1回は3メートルない距離で見ることができました。その時は偶然動画におさめることができて、 NHKの番組で流すことができました。最初に出会ったとき、雪豹はアイベックスを対岸で狩っていたんですが、豆粒みたいに小さくしか見えませんでした。そこまで行くには半日くらいかかるんですけれど、とにかくお腹が減っていたんで、一緒にいたラダックの仲間と取りに行って、雪豹の食べ残しを半分もらって焼き肉パーティをしました(笑)。」









「これからヒマラヤ行かれる人は、みなさんそれぞれテーマを持って行くといいと思います。一週間で行ける旅、10日で行ける旅もたくさんあります。花が好きな人はさっき見たようにシャクナゲの谷だとか、エーデルワイスが満開の谷だとか、ブルーポピーでいっぱいの谷だとか。釣りが好きな人は釣り竿を持って行くのもいいですね。ネパールは鯉化の魚が多いんですけれど、ブータンなんかは昔イギリス人がトラウトを放流したので、入れ食い状態で釣れます。温泉好きな人は実はヒマラヤには温泉もそこら中にあります。僕が個人的に好きなのはカトマンズ盆地のあぜ道を歩くトレッキングで、カトマンズからポカラというネパール第二の都市までは飛行機なら30分、車で5~6時間なんですが、その車道の ちょっと北側に古い交易路があって、これを1週間くらいかけて歩くのもすごく楽しいです。最近は家や道路がずいぶん増えて畑や田んぼは少なくなりましたけれど、カトマンドゥ盆地のあぜ道を歩くのはとても素敵です。そんな風にアイデアを駆使して、みなさんならではの旅をしてくれれば非常に楽しいかなと思います。今日はありがとうございました。」




 



庄司康治 プロフィール
映像作家、早稲田大学探検部OB
アフガニスタン・ワハン回廊、プラマプトラ川屈曲点、ネパール・ドルポ、ブータン・スノーマントレック…などの徒歩の旅。
エベレスト、アンナプルナ、アマダブラム、ニルギリ、シシャパンマ…などへのアルパインクライミング。
ヒマラヤの村や文化の映像制作。



TEXT BY



三田正明 プロフィール
カメラマン/ライター。

雑誌スペクテイターを始めアウトドア雑誌等で旅やハイキングに関する多くの記事を執筆。TRAIL CULTURAL WEBMAGAZINE TRAILSではエディターも勤める。2007年からこれまでにヒマラヤへは3回訪れている。