7.09.2014

HIMALAYA CALLING ふりかえり2 「地球の屋根に暮らす人々との旅~四人のライ族との山旅」根本秀嗣

今回もこの山と道ブログをお借りして、ライター/カメラマンの三田正明が引き続き2014年6月7日に行われた 山と道主催の“HIMALAYA CALLING"イベントレポートをお送りします。
ふたり目のプレゼンター、根本秀嗣さんはフリーランスの山岳ガイドで、グレートヒマラヤトレイル(2011年に正 式開通したネパール東部のカンチェンジュンガから西部のフムラまでを1700kmに渡って繫ぐロングトレイル)を日本に紹介する活動もされています。そんな山岳経験も豊富な根本さんの今回のプレゼンテーションは、パハールと呼ばれるネパールの中間丘陵地帯からヒマールと呼ばれる山岳地帯までを、パハールに住むライ族の青年たちと36日間に渡って歩いた旅の記録です。
現地の人々にとけ込みながら標高数千mの峠をいくつも越え、亜熱帯のジャングルから標高6189mのアイランドピ ークにまで至る根本さんの旅は誰にでもできるものではありませんが、誰しも「いつかはこんな旅をしてみたい」と思わせるに充分なプレゼンテーションでした。


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「こんばんは、根本秀嗣と申します。今回は私が2年前から計画をして、去年36日間に渡ってしてきました、ネパールの田舎のほうのエリアから入ってその土地に根ざして生きている四人の若者にサポートされながら6000m級 の山をひとつ登ってきた旅を、ひとつのヒマラヤの旅のスタイルの例としてお話させていただきます。」




「ネパールではだいたい標高2000mから4000mの中間丘陵帯をパハールと呼びます。緑も豊かで水も多く流れていて、隅々まで段々畑が作られて多くの人が住んでいるところ。人々は毎日毎日お百姓仕事に精をだしていますが別に物を売ってどうこうではなく、生産物は自分たちで消費するために毎日畑仕事をして暮らしている、そういうところです。日本にもかつてそういう風土があったんだろうなという景色を、今も見れる場所です。私の旅はこのパハールの地帯を抜けて氷河や高い峰のあるヒマールと呼ばれる高山帯へ入っていって山登りをする、そういうスタイルで行いました。」





「カトマンズから国内線でツムリンタールという街まで空路で行き、ここが旅の出発点になりました。今回の旅はそこからライ族という、この旅のスタッフをしてくれた人たちが住んでいる山を経由して、シプトンパスという、外国人で初めてここを通ったエリック・シプトンという英国人の冒険家の名前のついた峠を越え、アッパーバルン氷河を辿ってマカルーの足下へ入って行き、エベレストの方へ6000mの峠を越えて入っていくという計画でした。ですが去年はすごい大雪が降ってしまい、どの隊もハイパス(高所の峠)を越えることができなかったんですね。私たちも最前線まで踏み込んで見てきたんですが、やはり引き返すことになり、ぐるっと国立公園の周囲を2週間かけて迂回してエベレストの方まで行き、アイランドピークという6000m級の山をひとつ登って、そこからずっと歩いて定期バスの出ているジリという街まで歩いて36日間の旅を終えました。」





「ここがカトマンズから飛んだ飛行機で下ろされた町、ツムリンタールです。マカルーバルン地域の玄関口になる町ですね。後ろに映っているのが私が泊まったホテル・カンチェンジェンガという宿ですが、ホテルと言うよりも民宿のような宿ですね。まずツムリンタールからは4年ほど間にできた道路で、35kmほど奥のヌンという村までジープで行きます。ただモンスーンが終わったばかりでドロドロのぬかるみ道で、田んぼを耕しながら走っているような状態です。だいたい8時間くらい、常に車が30度くらい左右に傾いているような状態でした。満タンにして行った んですが、35キロ走っただけでディーゼル(軽油)が半分になっていました。」



 「彼らが今回の旅の仲間です。全員ライ族で、みんな親戚関係ですね。一番右側が今回の親方のプラカス。年は僕と同じ39歳ですね。その左がライマン。33歳で、彼は今回結婚式を挙げるタイミングで、カトマンズから僕がチャ ーターしたジープで嫁さんを連れて帰ってきました(笑)。その左がマイラ。プラカスとライマンの甥っ子にあたる21歳です。このマイラ君はひょうきん者で、でたらめな日本語で笑わせてくれました。どんな危険な局面でも笑いながら突っ込んでいく鉄砲玉みたいな奴です。そして左端がジバン。最年少の17歳で、彼だけクリスチャンでした。このエリアは仏教徒が多いんですが、若い世代にはキリス ト教が流行っているようで、改宗している若者が多いようです。」



「これがライマンの結婚式の様子です。親族が一同に彼の実家に集まって繰り広げられて行くんですが、ちょっと変 わった方法でやるんですね。二匹の小鳥が運ばれてきて、それを床に叩き付けて殺すんです。そして首を手で引きち ぎって、生き血を皿に二匹分たらし込んで......その後は酒に酔っぱらってて覚えてないんですが(笑)、そんなことをしていました。でも、彼らは本来動物をなるべく殺さないようにしている仏教徒なんですね。そこに仏教よりもっ と古くからの信仰も根付いていて、そのふたつが混交したようなものを彼らは信じているのかなと思いました。」





「そしていよいよ歩き旅がスタートしたのですが、最初はまだまだ蒸し暑い亜熱帯の森です。歩いて行くと段々畑の 棚田や畑が非常に美しく見えてきます。そしてよくあるのがマニ塚というものなんですが、チベット仏教のエリアで は非常によく見かけるものです。仏教徒はこれを左周りで歩いてゆきます。そしてこのマニ塚の向こうに見える峠が シプトンパス。これからこの峠を越えてゆくところです。




「歩いてゆくと峠などにチョウタラと呼ばれる休み場所がよくあります。非常に気持ちの良い場所なのですが、聞い た話では村の人が死んで1~2年くらいが過ぎた後に石を積み上げてこういう場所を作るそうです。そして死んだ人 の生き様が刻まれた墓碑銘のような石盤を作ってそこにはめ込んで、そこを歩くたびに故人を忍ぶそうです。」




「これもよく見にする風景で、ヒエの畑の向こうに仮小屋と飼われている水牛がいますね。水牛小屋のことを向こうでゴトと言います。そしてヒエのことをコド。このヒエは煎った後に粉に挽いて、お茶なんかを混ぜて粘土状にして 食べます。日本でも昔はそのようなものが食べられていましたが、ネパールではいまだに主食として食べられています。」



「そしていよいよ峠を越えていくんですが、シプトンパスは3つの峠で構成されています。新雪が降り積もっていて、すこし歩きにくかったですね。






「シプトンパスを越えバルン・コーラという谷に下り、この奥へと進んでいくと、すごくかっこいい三角形をした山 が見えてきます。この山は特に名前はないのですが、絶対に登ってはいけない神の山とされています。ですが数年前はまだ規制が緩かったらしく、日本の登山隊が登頂を試みたのですが、全員遭難して帰ってこなかったそうです。それ以来は絶対に入山禁止の山になっています。その奥に行くとマカルーの足下へと入っていきます。昔からマカルーの足下付近はヒマラヤのヨセミテ渓谷と欧米の人たちが呼んできたところです。こういう絶壁が峡谷を取り囲んでいて、アメリカのヨセミテ渓谷と良く似た景観の場所です。ここは昔チベットから人々が交易のため山を越えてやってきたところですね。」



「ここからふたたび標高を上げて、アッパーバルン氷河へと入って行きます。ふだんはここはまったく雪のない場所らしいのですが、ごらんの通り雪に覆われていました。やはり去年は異常気象だったようです。」




「イーストコルという場所まで来た時点で非常に厳しいラッセルが始まりました。このまま順調に行けば標高620 0mの峠をふたつ、それから標高5800mの非常に厳しいロープで懸垂下降しなくてなはならない峠が出てくるのですが、それを全部越えるのに5日間くらいのキャンプが必要になってくるんです。ですがこれだけの大雪で、100m進むのに一時間かかるほどでした。ここを越えて行くのはまったく現実感がないので、グルーッと回って反対側 へアプローチすることになりました。それには2週間はかかるだろうと思われたのですが、予定表を見ると2週間は余計にかかっても大丈夫だろうと判断つきましたので、ふたたびシプトンパスを越え、ライ族の村へと帰っていきました。」



「これは帰りのシプトンパスなのですが、最初には出てこなかったカロポカリ(黒い池)という湖です。ここはこの エリア一帯のシェルパ族たちの聖地とされている場所で、祈祷場がありました。こういう場所に来ると親方のプラカスは持ってきたお線香を上げて、タルチョというネパールに行くと良く見かける経文旗を奉納して、みんなの旅の安全を祈っていました。彼は敬虔な仏教徒なので、こういう場所に来ると毎回毎回お祈りをしていました。そのたびに彼の荷物からは『まだ出てくるの?』というくらいタルチョの巻物とお線香が出てくるんです(笑)。プラカスは常にガイドの仕方を若い二人に仕込んでいました。常に罵倒している感じですね(笑)。でもそうやって育っていくんだなと思いました。」

 
「これは魚を穫るための準備しているところです。ときどきそうやって漁労もしたりして、動物性たんぱく質を確保していくんですが、梱包テープとテグスのようなもので予め作ってあった刺し網をほぐして準備するんですね。そして川に網を仕掛けに行くのですが、非常にデンジャラスな、登りでもかなり危険なグレードにあたる場所を裸足でロープも何もなしに突っ込んで行きます。僕もついて行きましたけど、クレイジーだなと思いました。本当に彼らの食に対する執念はすごいです。そうして穫れた魚をシンプルにぶった切って、そのへんで採れたワラビや菜っ葉を入れてぶっかけ飯にするような、こんな食事が多いですね。」



「これは下の方をぐるっと迂回してエベレストの方に向かっていく途中、大きな峠を三つ越えて行くんですが、そのひとつ目の峠の上に立っている素朴な宿です。向こうではバッティと言いますが、かまどを借りて自分で調理して、 寝るのも寝袋です。ひとつひとつの峠がすごく巨大で、日本アルプスくらいの高さがようやくふもとの丘ひとつぶんくらいになるんですね。そして丘ひとつひとつが日本アルプスの山のサイズくらいになるので、まず登りで2000m 登って下り2500mくらい降りて、また2000m登ってくだり1500m降りるとか。それを連続で毎日こなして行くような旅です。本当にヒマラヤは裾の方も大きいです。」




「それでぐるっと2週間くらいかけてまわって、最後にイムジャ・ツェという山......『アイランドピーク』という名前の方が有名かもしれませんね......に登りました。当初マカルーバルン地域から峠を越えて来るとちょうどこの山の足元に至り、自然に取り付く予定でしたが大雪でそれができませんでしたので、ずいぶんと遠回りしてアプローチすることになった訳です。登山料払い込んでますし(笑)。登らないわけにはいかない。」




「ここは親方のプラカスと二人で登りました。気温は最低でマイナス10°Cほど。アタックには着込んで出かけたので寒さでつらい思いはなく、雪面のコンディションもアイゼンの爪がよく効いて最高で、サクサク登りました。ちょうどご来光の時間に登ったのですが、5500mのハイキャンプから頂上6200mくらいまで3時間くらいでした。2週間前にはマカルーバルン地域のどん詰まり5450mまで行ってきたので身体も楽に動きましたね。かえっ て少し薄着のプラカスが時々寒そうにしてて...。アタックを終えて下りは手早く1時間40分ほどでハイキャンプに 帰着。そこで朝8時位でしたので、途中のバッティでアタック用に買い込んでおいたトマト風味マカロニパスタ、サ ラミ入りをプラカスと一緒にたらふく食べました。プラカスは辛い辛い唐辛子を大量に入れてすんごく刺激的な味付け。火を吐きそうな辛さでした。彼はよっぽど寒さを感じていたんだな~と。アイランドピークはある程度有名ですが、こちらとしては初めて登った山でそれなりに新鮮でした。とはいえ切り立った岩稜、部分的に複雑な地形、クレバス帯、200m近く立ちはだかる頂上直下の氷雪壁など、舐めてかかっては危険な山です。晴れ渡った桜色の朝焼 け、神々しいクンブ-の巨峰群とマカルー、眼下に見下ろす氷河湖イムジャ・ツォ...。頂上では透き通った時間を過ごせました。2週間かけ回ってきただけの甲斐はあったかも知れません。そうしてソルクンブーというエリアのカト マンズまでバスで8時間で行けるジリという村まで降りてきて、36日間の旅を終えました。そのような泥臭い旅をしてきた、という報告でした。ありがとうございました。」








根本 秀嗣 プロフィール

1975 茨城県常陸大宮市 (合併前当時は那珂郡山方町) 生まれ
2001 仁寿峰クライミングトリップ韓国
2002 ナリ 6194m   ェストバットレスルート (アラスカ山脈/アメリカ)
2003 レイドゴロワーズ ルギス大会 リタイ
2007 チャコ 6704m 南東稜 (リーヒマール/ネパール
2007 チュルーェスト 6419m (チュルーヒマール/ネパール
2007 アンナプルナサーキットからアッパームスタンへの継続トレックネパール
2011 ーズ 31ッチ ビッグォールクライミング  (エルキャピタン/ヨセミテ/アメリカ
2013 マカルー地域からソルクンブー地域への継続トレックネパール
2013 イムジャツェ 6189m  (クンブーヒマール/ネパール
2014 カンチェンジュンガ地域グレートヒマラヤトレイルと6000m峰の登山を予

本山岳ガイド協会認定ガイ
産業ロープアクセス同業者協会 (IRATA) 認定 LEVEL1 テクニシャ
MEDIC First Aid 認定 BasicPlus ファーストレスポンダー




TEXT BY



三田正明 プロフィール
カメラマン/ライター。

雑誌スペクテイターを始めアウトドア雑誌等で旅やハイキングに関する多くの記事を執筆。TRAIL CULTURAL WEBMAGAZINE TRAILSではエディターも勤める。2007年からこれまでにヒマラヤへは3回訪れている。