4.30.2014

ヒマラヤ日記 6日目


今は午後8時36分。
リーという小さな村のロッジで眠りながら書いてます。今日は素晴らしい一日でした!山はより深さを増し、木々は春の新緑が彩り、周りは富士山を超える高さの山々に覆われています。2000mを越える岩壁の至る所から滝が流れてます。岩壁の上部は、雪がついているか、部分的に凍っていて、変な感じに反射して目のピントが合いません。それらの岩壁の向こうに6000mを超える山がそびえたっているのです。



4.29.2014

ヒマラヤ日記 5日目


今は夕方の5時。
今日泊まるデンという村のロッジでこれを書いてます。今日はパーミットのチェックポイントを二つ通過しました。関所を通過しながら峠の茶屋で休む僕らのスタイルは、江戸時代の東海道五十三次に近かったのではないでしょうか。道沿いには村々に荷物を運ぶ馬に変わってミュール達が列を成し、籠の代わりにポーターが荷物を運び、観光しながら歩き続けます。東海道もヒマラヤと同じく道沿いにはお店や宿が溢れていたのでしょう。ハイクは三日目。遠くに雪をかぶった5000mを越える山が見えてきました。景色は徐々に壮大さを増してきています。 



 2000mを越える崖のような斜面の中腹に村が見える

4.28.2014

ヒマラヤ日記 4日目


ナマステ!今はドバンという村で昼食休憩中です。
頼んでから出来上がるまで一時間程かかります。ここも最近出来たロッジのようで、コンクリートも、レンガも使わずに、石を積み上げて綺麗な二階建ての建物を作ってます。これなら下から資材を持ってこなくてもあらかたの材料は現地調達出来ます。

 ダルバート
 定食の意味。ネパール人は毎日ダルバートを食べていると言われています。
御飯に、ダルというスープ。スパイスで味付けしたタルカリ(ジャガイモがメイン)、サグ(野菜)、アチャール(漬け物)が基本付いてきます。頼むとほぼ、同じ分量をおかわりで持ってきます。
 

4.27.2014

ヒマラヤ日記 3日目


今マチャコーラという村のロッジの食堂でこれを書いています。
地元のローカルビール(ガイドさんは濁酒という)を頼んでみると、ビールとは思えない、マッコリを薄く酸っぱくして味が余り無い凄まじいお酒がデカイプラスチックのピッチャーで出てきました…。お酒の匂いにつられてハエは沢山寄ってくるし、凄い有様となっています。ガイドさんも笑っているし、何か浮いているし、さすがに飲み干せそうにはありません。

 
村の名前のマチャは魚という意味で、ロッジの入り口では魚の網を編んでいました。ソティコーラから、ここまでの道のりは、下を見ると百メートル以上あるような断崖絶壁の道をずっと歩いてきたのですが、驚く事に、この村のロッジは、コンクリートのビルディングです。しかも二軒も。ロッジのメニューを見ると、たくさんのお金をかけて、ミュール(ロバのような馬がそうだった)で沢山の荷物を運び、苦労して建てたロッジなので、沢山お金を使ってほしい。と書いてありました。そういえば、僕達も道中、建築資材を運ぶ200頭を超えるミュールの渋滞に巻き込まれて、中々前に進む事が出来ない場面がありました。沢山の荷物を背負ったミュール達が、牧童に囃し立てられて、時には石を投げられて、前に少しづつ進みます。ミュールに付けられた大きな鐘が鳴り響くその群は、壮観でもあり、少し哀れにも感じます。ここまでの道は、ミュールが通れるような生活の道なので、JMTと同じように歩きやすいです。道の至るところに、登山客や、牧童や、道ゆく人々を相手にした商店や食堂があります。ロッジやホテルも至る所にあり、まだ建設中の建物も多く目につきました。村の棚田は今はトウモロコシを植えて、その後にお米を育てるようです。途中で食べたダルバートのお米は地場のお米かとガイドさんにきくと、ミュールで町から運んできたお米との事でした。


4.26.2014

ヒマラヤ日記 2日目

 この日記はヒマラヤハイク中に毎日書き綴った日記を元をアップしたものになります。


今アルガトバザールという、マナスルサーキットの起点となる街の食堂にいます。チキンマサラをたのんでから、一時間以上時間がかかっています。全て始めから作っているのでしょう。ここまでの道のりは、ゴルカバザールという街までは舗装道路で快適でした。そこからはジープロード。ハードに揺れます。此処から今日のゴールのソティコーラまでの道はもっと凄いらしく、車のダンシングとの事です。



由美子が頼んだチャオミン(焼そば)はすぐ出て来る。


ヒマラヤ日記 1日目 

 この日記はヒマラヤハイク中に毎日書き綴った日記を元をアップしたものになります。


はじめてのヒマラヤ。はじめてのネパールへとむかう。
前日まで試作品の制作や、お客様へオーダー品の制作などに追われて、ここ、二ヶ月近くほぼ休みなくづっと働き詰めだった。今回のヒマラヤハイクも、仕事の一環であることは間違いがないのだが、ようやく羽を伸ばして、知らない山を思う存分に歩けると思うと、僕は嬉しい。飛行機はジェットスターを選んだ。一番安い飛行機で、中華航でカトマンズまでの往復で5万円代というのもあった。(サーチャージ混み) ジェットスターを選んだのは、長いハイクになるので、何かあった時の事を考えて、搭乗日の変更手続きが出来るから。今思えば、中華航空にして、何かあったら新しく、ジェットスターで帰りの便のチケットをとれば良かったかもしれない....。


今はカトマンズのホテルにいてこれを書いてる。
時間は朝7時頃。二日前の深夜11時50分の飛行機に乗り、
朝クアラルンプールに到着。昼頃にカトマンズ行きの飛行機にのり、14時頃に到着。日本との時差は三時間だから17時間ぐらい移動にかかった事になる。出発事に忘れ物と入手しないといけないものが数点あった。一つは、コンセントアダプター、もう一つは、ヘッドライト(ペツルe-light)のリチウム電池。コンセントアダプターは、マレーシアの空港の凄い小さな店の小さな一角に見つけることが出来た。(カトマンズのスーパーなどでも普通に入手可能)電池は、カトマンズに到着後、路地を彷徨いながらお店をさがすも、そんなきのきいたものが売っている気配は微塵もなく、モチロンコンビニもない。どうしようかと考えて、時計屋なら電池を扱っているだろうと考えて無事こちらも入手出来た。


今日は、
10時から現地のトレッキング会社にいく予定になっている。今回のヒマラヤハイクは、ヒマラヤを東西に縦断するグレイトヒマラヤハイクのハイルートをセクションハイクすることが一つの目的になる。(もう一つは、試作品のテスト) 色々と調べて、現地を歩いている人数名の助言を元に、マナスルサーキットからアンナプルナサーキットを繋いで歩いて行く事にした。まだトレイルは開通したといっても、道なき道が続く区間も多いらしく、トレイル中に村が多く、かつ有名でないルート(マナスル)と、有名なルート(アンナプルナ)を、二つ繋いで歩くことによって感じる事も多いと思う。ここまでのルート決めも時間のかかる作業だったが、それ以上に難儀したのが、パーミットの入手だった。入国する前にパーミット(山の入国許可書)を入手した方が良いと聞いていたので、現地のトレッキング会社に問い合わせをすると、会社を通じてガイドを雇わないと、パーミットの入手が出来ないと言う。そんな事があるのだろうかと疑問に思い、その他幾つかの会社に問い合わせして見ても、同じ結果だった。そこで本腰入れて調べてみると、どうやら本当らしく、現在は、アンナプルナや、ランタンなどの一部を除いて、殆どの奥深い山々は、特定の国の許可を得ているトレッキング会社でガイドを雇い、かつ、二人以上のグループでないとパーミットが入手出来ない事が分かった。また、アンナプルナはガイドが無くても歩けるが、個人トレッキングという許可書になり、それは本人が現地で申請しないといけないルールらしく、トレッキング会社では許可か取れないらしい。 

抜け穴は無いかと探り、アンナプルナの許可書をどうにかなったものの、マナスルの許可書の入手はむずかしい。そこで個人で歩くことを諦めて、アンナプルナまでガイドさんを一人雇う事にした。ガイドを雇うことには、気持ち的な大きな抵抗感があったが、ヒマラヤについて相談をしていたNさんの勧めもあり、ガイドさんと歩く事も楽しいだろうと気持ちの切り替えが出来た。Nさんいわく、ネパールは、日本の遥か昔のような暮らしがまだ息づく国で、その文化や暮らしを理解していくには、ガイドさんの力が必要だと教えてもらった。例として、明治時代初期の日本を、日本人のガイドと一緒に、北海道まで旅をするイザベラバラードの日本紀行を例に出された。今のネパールは、外国人が、明治初期の日本を歩くのと同じカルチャーショックの体験があるらしい。

現地の地図を見てマナスルサーキットから、アンナプルナに入ってすぐに、奥マナンのナー村を通り、カラン峠を抜けてアンナプルナサーキットに戻って来るルートにした。ここでガイドさんと別れる予定になっている。予定では5000mを超える峠越えを三回する事になっている。残雪状況や、天候次第ではルート変更する事もやむを得ないだろう。  

にしても、天空の村々を通過していく旅は、まるでドラクエのようだとも思う。モンスター(山賊)に合わない事を祈りたい。これからトレッキング会社で詳しい事を聞きに行こう。