4.26.2014

ヒマラヤ日記 1日目 

 この日記はヒマラヤハイク中に毎日書き綴った日記を元をアップしたものになります。


はじめてのヒマラヤ。はじめてのネパールへとむかう。
前日まで試作品の制作や、お客様へオーダー品の制作などに追われて、ここ、二ヶ月近くほぼ休みなくづっと働き詰めだった。今回のヒマラヤハイクも、仕事の一環であることは間違いがないのだが、ようやく羽を伸ばして、知らない山を思う存分に歩けると思うと、僕は嬉しい。飛行機はジェットスターを選んだ。一番安い飛行機で、中華航でカトマンズまでの往復で5万円代というのもあった。(サーチャージ混み) ジェットスターを選んだのは、長いハイクになるので、何かあった時の事を考えて、搭乗日の変更手続きが出来るから。今思えば、中華航空にして、何かあったら新しく、ジェットスターで帰りの便のチケットをとれば良かったかもしれない....。


今はカトマンズのホテルにいてこれを書いてる。
時間は朝7時頃。二日前の深夜11時50分の飛行機に乗り、
朝クアラルンプールに到着。昼頃にカトマンズ行きの飛行機にのり、14時頃に到着。日本との時差は三時間だから17時間ぐらい移動にかかった事になる。出発事に忘れ物と入手しないといけないものが数点あった。一つは、コンセントアダプター、もう一つは、ヘッドライト(ペツルe-light)のリチウム電池。コンセントアダプターは、マレーシアの空港の凄い小さな店の小さな一角に見つけることが出来た。(カトマンズのスーパーなどでも普通に入手可能)電池は、カトマンズに到着後、路地を彷徨いながらお店をさがすも、そんなきのきいたものが売っている気配は微塵もなく、モチロンコンビニもない。どうしようかと考えて、時計屋なら電池を扱っているだろうと考えて無事こちらも入手出来た。


今日は、
10時から現地のトレッキング会社にいく予定になっている。今回のヒマラヤハイクは、ヒマラヤを東西に縦断するグレイトヒマラヤハイクのハイルートをセクションハイクすることが一つの目的になる。(もう一つは、試作品のテスト) 色々と調べて、現地を歩いている人数名の助言を元に、マナスルサーキットからアンナプルナサーキットを繋いで歩いて行く事にした。まだトレイルは開通したといっても、道なき道が続く区間も多いらしく、トレイル中に村が多く、かつ有名でないルート(マナスル)と、有名なルート(アンナプルナ)を、二つ繋いで歩くことによって感じる事も多いと思う。ここまでのルート決めも時間のかかる作業だったが、それ以上に難儀したのが、パーミットの入手だった。入国する前にパーミット(山の入国許可書)を入手した方が良いと聞いていたので、現地のトレッキング会社に問い合わせをすると、会社を通じてガイドを雇わないと、パーミットの入手が出来ないと言う。そんな事があるのだろうかと疑問に思い、その他幾つかの会社に問い合わせして見ても、同じ結果だった。そこで本腰入れて調べてみると、どうやら本当らしく、現在は、アンナプルナや、ランタンなどの一部を除いて、殆どの奥深い山々は、特定の国の許可を得ているトレッキング会社でガイドを雇い、かつ、二人以上のグループでないとパーミットが入手出来ない事が分かった。また、アンナプルナはガイドが無くても歩けるが、個人トレッキングという許可書になり、それは本人が現地で申請しないといけないルールらしく、トレッキング会社では許可か取れないらしい。 

抜け穴は無いかと探り、アンナプルナの許可書をどうにかなったものの、マナスルの許可書の入手はむずかしい。そこで個人で歩くことを諦めて、アンナプルナまでガイドさんを一人雇う事にした。ガイドを雇うことには、気持ち的な大きな抵抗感があったが、ヒマラヤについて相談をしていたNさんの勧めもあり、ガイドさんと歩く事も楽しいだろうと気持ちの切り替えが出来た。Nさんいわく、ネパールは、日本の遥か昔のような暮らしがまだ息づく国で、その文化や暮らしを理解していくには、ガイドさんの力が必要だと教えてもらった。例として、明治時代初期の日本を、日本人のガイドと一緒に、北海道まで旅をするイザベラバラードの日本紀行を例に出された。今のネパールは、外国人が、明治初期の日本を歩くのと同じカルチャーショックの体験があるらしい。

現地の地図を見てマナスルサーキットから、アンナプルナに入ってすぐに、奥マナンのナー村を通り、カラン峠を抜けてアンナプルナサーキットに戻って来るルートにした。ここでガイドさんと別れる予定になっている。予定では5000mを超える峠越えを三回する事になっている。残雪状況や、天候次第ではルート変更する事もやむを得ないだろう。  

にしても、天空の村々を通過していく旅は、まるでドラクエのようだとも思う。モンスター(山賊)に合わない事を祈りたい。これからトレッキング会社で詳しい事を聞きに行こう。





夜20時頃。カトマンズのホテルに戻ってきてこれを書いている。
カトマンズは計画停電を実施中らしく、ホテルの部屋は小さな灯り一つしかつかない。シャワーはロウソクの火で浴びる。泊まっているのはタメル地区。旅行者が沢山歩いている街のようだ。小さな路地を、車やバイクがひっきりなしに通っていて、クラクションの音が終始鳴り響く。偽物っぽいアウトドアギアを売っている店が沢山並んでいる。街は今日は祭日でお祭りらしく、夜遅くにも、ドンチャンと音が遠くから響いてきた。
午前中に、
お世話になる日本人が経営しているコスモトレッキングにお邪魔して、ガイドのスバシさんを紹介していただく。建物がある施設内にはモンベルのネパール店もある。スケジュールの再確認と、知りたかった事の確認を行う。一つは残雪状況、今年は雪が多いらしい。まだ、僕等が行くマナスルに今年は入った事が無いらしく詳しい事まではわからないらしい。二つ目は電気事情。調べてもらうと、マナスルも開発が進み電気があるようだが、充電が出来るかどうかは確証がない。アンナプルナの方は、期待が出来るようだ。三つ目は、ハイク中幾らぐらいかかるのか。途中ロッジ等があるのでそこで食べて、泊まったりすると、僕等が予想していた以上にお金がかかるようだ。ガイドさんや、パーミット等を合算して行くと、普段のようなハイクと無縁になって行くのは少し悲しい。それはそれと違う楽しみと体験なのだと思う事にする。 

会社を出て、高山病の薬や、行動食、お酒などを買いつつ、少し観光などをしてきた。途中歩いていたら、アキラさーん。という声がする。誰がどうして僕の名前を知っているのか?彼はNさんにご紹介いただいたプラカスさんだった。メールでパーミットなどの入手で大変お世話になった。勿論はじめての顔合わせだ。良く雑踏の中から会った事も無い人間を見つけ出せるものだと感心する。仕事が忙しく、ハイクの出発前に会えないと思っていたから凄い偶然だ。少し立ち話をして、地元の美味しいレストランなどを教えてもらう。ハイクから帰ってきたら、プラカスさんの地元のパタンに遊びに行こう。
明日は朝からガイドのスバシさんと一緒にジープでマナスルサーキ
ットの出発点ソティコーラ迄行く予定。スバシさんの初印象は、少し無口で真面目そうな青年。マナスルには三回程行った事があるという。日本語も少し喋れる。彼を通じてヒマラヤを知る事になって行くのだ。

 ガイドのプラカスさん

 泊まったホテルブルーダイヤモンド
帰りに違うホテルに泊まったが、こちらの方が安くて断然良かった。部屋は暗いけど、喧噪から少しずれているし、なによりも雰囲気がある。