4.26.2014

ヒマラヤ日記 2日目

 この日記はヒマラヤハイク中に毎日書き綴った日記を元をアップしたものになります。


今アルガトバザールという、マナスルサーキットの起点となる街の食堂にいます。チキンマサラをたのんでから、一時間以上時間がかかっています。全て始めから作っているのでしょう。ここまでの道のりは、ゴルカバザールという街までは舗装道路で快適でした。そこからはジープロード。ハードに揺れます。此処から今日のゴールのソティコーラまでの道はもっと凄いらしく、車のダンシングとの事です。



由美子が頼んだチャオミン(焼そば)はすぐ出て来る。








今は午後16時ソティコーラのロッジでこれを書いています。ソティは白という意味で、コーラは川を指します。ここは、白い川という意味の村のようです。たくさんの民族がいるネパールのグルン族が住んでいると聞きました。アルガトバザールからの道は、本当にダンシングでした。登山道のような道を車で走ります。時には車で渡渉することも。馬で荷物を運ぶ人達と何度かすれ違う事もありました。少しづつ景色は山の村という雰囲気になって行きます。道ですれ違う人々の荷物の背負い方は独特です。額にベルトを掛けて、首と頭で荷物を背負い、背中でささえます。背骨をしっかりと使った効率的な背負い方なのでしょう。身体を一本の柱のようにして背負うのだと思います。今日はここで泊まります。この村まではどうにか車が入れるので宿泊費もそれ程高く無いと聞きますが、ここから高地に入るともっと高くなるようです。下から歩荷しないと行けないので当たり前な話しですが。今は地元のゴルカビールを呑んでます。正直余り美味しいとはいえませんが、サッパリとした味です。ガイドのスバシさんの言う所によると、5年前まではロッジは無く、このルートは皆テントで泊まったようです。今は5000mを越えるラルキャラ峠の手前にもロッジがあると聞きました。明日からハイクが始まります。

 


今は夕方です。食事前にゆっくりと道行く人を見ています。荷物を背負ったポーターや、村の人々、学校帰りと思う子供達。そんな人々に混じってロバも単独で歩いて帰っていきます。このロッジはソーラーで電気を作っています。ホットシャワーは別途お金がかかるそうです。村人は基本農業がメインだけど、カトマンズや、下の街に出稼ぎにも出ているようです。ガイドのスバシさんも、閑散期は地元に帰って農業をするそうです。ロッジの経営は安定的な収益を得る事でしょう。特に秋のハイシーズンは何処も満室のような状況になるそうです。ロッジを作る人、作らない人。村人の間で何かしらの問題になっていないのか心配もします。後でスバシさんに聞いてみようと思います。

ロッジの前は、道を挟んで崖になっていて、下の川でノンビリと釣りをしている人がいます。この場所の景色が美しいのか、村人の青年達もゆっくりと佇んでいます。道や崖にはゴミがたくさん落ちています。今目の前の青年もゴミを捨てました。ゴミを捨てる習慣を野蛮と捉える事もできますが、視点を変えると土に帰らないゴミこそが野蛮ではないかとも思います。昔のゴミは捨てても土に帰っていたのではないでしょうか。土に還るプラスチックが普通になれば良いのにと思います。

今ロッジの部屋でこれを書いてます。小さくて綺麗な部屋です。先程鎌倉にもいるような大きな蜘蛛が歩いていました。食事はダルバートという、ネパールの定番の定食を食べました。カレーを薄くしたようなサッパリとしたスープに野菜をカレーで炒めた物と漬物などシンプルでとても美味しかったです。この夜には、僕ら以外にも二組程のグループが泊まっています。一つのグループのガイドさんは、スバシさんの同郷で、ガイド学校の同級生だそうです。学校では、英語や日本語、韓国語などのコースが分かれていて、それぞれ語学と共に山の勉強するとの事。スバシさんいわく、文法が似ている日本語の方が英語よりも楽だったそうです。

食事を終わって外に出ると山の上に沢山の灯りがともっています。スバシさんに聞いた所、山の上に村はあり、僕達が歩いてきた道沿いの人家の多くは、観光客や、道行く人々を目当てに新しく建った家だそうです。ロッジも山の上の村から降りてきて建てたらしく、ロッジを建てる事による村人間の問題も無いと言っていました。

後、友人がランタン地域で山賊に襲われた話しを出して、山賊など人が怖い地域について聞いた所、今いるこの地域が割りと危ないらしいとのこと…。ランタン地域が危ないと思っていた自分は、ガイドさんがいるから安心ではあるのですが、危険を避けたつもりが、まんまとど真ん中を歩く事になっていたみたいです。



ロッジの部屋

壁はベニヤ1枚押すと、隣部屋が隙間から見えるぐらい。でも雰囲気はある。


 地元のゴルカビール