5.25.2014

HIMALAYA CALLING





HIMALAYA CALLING

ヒマラヤはすごい山でした。私達のハイクの記録は、深く大きいヒマラヤの一部でしかありません。山の魅力、文化の魅力、風土の魅力...。私達はもっとヒマラヤの事が知りたくなりました。私達のヒマラヤハイクの相談役を買って出てくださった鈴木さん、根本さん、三田さん、庄司さんの4名をゲストにお招きして、ヒマラヤの魅力についてお話いただく場を設けました。講演の後にはネパール料理を食べながら、ゲストと共に懇談会を開催致します。今回の会の為に京都よりプラントラボ(電気食堂としても知られています)がやってきます。ネパールの定食ダルバートを作っていただく予定です。



5.15.2014

ヒマラヤ日記 18日目


マルファという村のホテルでこれを書いています。
時刻は午後の6時前。村外れのムスタンミュージアムを見学して、朝9時頃にジョムソンを出発しました。今日も強風が吹いています。風が強いこの大きな谷は、ウインディヴァレー、風の谷と呼ばれているそうです。ジープロードを1時間程歩いて今回のハイクのゴール、マルファ村に到着しました。聴きしに優る美しい村です。観光地としても人気が高いのか、お土産屋さんの客引きが少し多いです。その点が残念で、観光には良かったけどハイクには少し蛇足だったかも。今一気に疲れを感じています。午後から崩れた天気がそれに拍車をかけます。明日は、バスでベニという街を経由してポカラに向かう予定です。もう少し時間を置いて今回のハイクを振り返りたいとおもいます。牛や馬や、ミュール達が奏でる美しい鐘の音、鶏の鳴き声。街歩く人の歌声のような響きともそろそろお別れです。時間がたったら懐かしく思い出すのでしょう。

 ジョムソン

5.14.2014

ヒマラヤ日記 17日目


今ジョムソンのゲストハウスでこれを書いてます。
時刻は夜の8時30分。夕食を食べてベッドの中です。このハイクをトロンパスを越えてムクナートで終わる事も出来ました。何故なら、ムクナートまでジープが入る事が出来るから、そのままポカラまで帰る事も出来ます。(ガイドさんはチャーターしてポカラまで帰れると言っていましたが、実際は乗り継ぎになるようですので、当日中にポカラまで帰るのは難しそうです。)でも、ハイクは終わりません。今日歩いた道も中々壮大でした。村々を繋ぐ道も、これまでとはまた違った魅力に溢れていました。途中崖の向こうに、はるか昔の遺跡のような場所も見る事が出来ました。マナスルサーキットからここまで来ましたが、景色だけでなく、身体で感じる乾いた感じや、風土など、峠を越える度に新しい国に辿り着いたように感じます。これをジープで通り過ぎるのは勿体無い。行った事はありませんが、中南米の何処かを歩いているように感じました。そして、いつも食べるダルバートの味も変わっていきます。特にここムスタン(この辺りの県?)の味は格別に美味しいのです。お酒もこのあたりのロクシーは、アップルブランデーという名で、リンゴから作るロクシーを味わう事が出来ます。元々は、今日泊まっているジョムソンを今回のヒマラヤハイクのゴールとしていたのですが、ジョムソンから一時間程先のマルファという街がとても美しいと聞き、マルファを僕らのゴールとしました。今日は本当はゴールのマルファという街迄行く予定だったのが、途中お昼を食べたエクレバティ(一軒茶屋という意味)からジョムソンまでの道程が台風のような強風で由美子が疲れてしまい、このジョムソンに泊まる事になりました。強風の中歩きながら、ガイドのスバシさんがこの時期のジョムソンは午後から風が強くなると言っていた事を思い出しました。噂ではジョムソンはムクナートみたいな開発された大きな街と聞いてましたが、川沿いの柳ような木は美しく、通りには所々石畳がしかれ、大きな学校に通う制服姿の子供達。良い雰囲気の街です。久しぶりに熱いシャワーも浴びれたし、ハイクを始めてから割と全うなWi-Fi環境に始めて出会うこともできました。街の中、道路に寝ている犬に混じって牛が犬のように其処らで寝ていたり、勝手気ままに散歩している姿は面白くも感じます。また、露天でアンモナイトの化石を売っていてまさか本物じゃないよなと思ってネットで調べてみたら本物のようでした。街の横に流れる川で化石が取れるようです。そういえば、ここに来る途中、黙々と石を割っている人を見る事がありました。ヒマラヤは昔は海だったという話しを思い出すいいお土産になりそうです。明日はゆっくりと最後のハイクを楽しもうと思います。

 ジャコットの村

5.13.2014

ヒマラヤ日記 16日目


今はジャコットという村の小さなホテルの部屋でこれを書いています。時刻は4時。今日はトロンパスを越えて来ました。ハイキャンプからトロンパスを越えるのに通常朝の4時30分に出発します。その時間だとまだ暗いので僕らは少し明るくなってくる5時過ぎに出発しようと考えていました。朝4時頃に起きて、外を見てみると、少し雲が出ています。これまでの経験だと早いうちに天気が崩れる予感がします。4時30分頃に多くの人達が出発して行った後、まだ暗い中5時少し前に僕達も出発しました。ハイキャンプの下に泊まっていた人達もどんどんと上がってきました。(部屋が空いていない人や、少し高山病の疑いがある人は下に泊っていた模様)気温はー15度程。雪の斜面をトラバースしながら、トロンパスを目指します。先行パーティよりも30分程後に出発したのにもかかわらず、すぐに渋滞に遭遇しました。中々進まないのにイライラとしておりましたが、途中、この高度、雪の中にもかかわらず、ティーショップが営業しており、それを過ぎた辺りから、徐々に人数もまばらになってきました。景色は、マナスルサーキットのラルキャラパスの方が幾分壮大な景色です。歩き始めて3時間程で、トロンパスに到着しました。聞いてはいたのですが、この峠にもティーショップがあります。少々値は張りますが、ここで暖かいミルクティーを飲んで温まりました。天気は更に崩れてきて少し雪もぱらついています。風が無いのが幸いです。峠を越えた向こうに、まだ知らない山々が視界一杯に広がります。あの向こうに行きたいと心を掻き立てられます。雪で埋れたトレイルは、標高が下がると共に所々凍った箇所が出てきました。僕らはスパイダー(軽アイゼン)を持ってきていたので、快調に降りる事が出来ましたが、殆どの人が何も準備していないようです。1400m程雪の中一気に高度を下げる下山はかなり大変だったのではないでしょうか。特に普通のスニーカーで何十キロもありそうな荷物をこの雪の中運ぶポーターさんは、少し尋常ではありません。時々滑って転んだりしてました。雪の斜面で転ぶという事は、転んだ場所が悪ければ下まで滑落する危険性もあります。ほぼ多くの人がガイドさん、ポーターを付けて歩いているのにも関わらず、軽アイゼンなどの道具に関しては、全く頓着は無かったようです。この雪と天候と高度を考えると、日本では考えられません。例年であればこの時期トロンパスは雪が無いらしいのでそのせいかもしれません。もしかしたら出発前は雪が無かったけど、ここ1週間ぐらいの天気の悪さで雪が積もったとも考えられます。ヒマラヤに来る人は軽アイゼンなどの装備はガイド会社が何も言わなくても準備された方が良いと思います。僕らは雪道も夏道も両方味わえたので楽しくて満足しました。


5.12.2014

ヒマラヤ日記 15日目


今、トロンパスの手前のハイキャンプのロッジでこれを書いています。標高は4887m。驚くことにこんな高所まで立派なロッジがあるのです。ロッジは明日トロンパスを越える人達で溢れかえっています。これまで幾つかのロッジに分散していた人達がハイキャンプただ一つのロッジに集まるのだから当然といえば当然かもしれません。僕らは部屋を取る事が出来ましたが、遅く来た人は部屋が取れないのではないかと心配します。テントを張るにも雪融けの地面はぐちゃぐちゃで余り宜しく無い感じです。まだハイシーズンではない今この状況ですので、秋のハイシーズンは、部屋に泊まるのは至難の技かもしれません。このロッジの食堂を見渡すと殆どが白人です。アジア人はガイドポーターを除いたら5%いるかいないか。黒人系はゼロです。このロッジのすぐ下のロッジは、音楽もいまどきで、ここはどこのヨーロッパだ。と思うような雰囲気で驚きました。






朝の気温は-10℃程 地面も凍っている。 

5.09.2014

ヒマラヤ日記 14日目


ヤクカルカ(ヤク牧場)のロッジでこれを書いてます。
標高は4000m。午後0時45分。昨日泊まったマナンは、とても美しい村でした。丘の上から見る朝のひかりに照らされた村、棚田、川、湖、山が一枚の絵のように美しくそこにあります。村の中に、小さなミュージアムが一軒あるのですがオススメです。79年に撮った古いマナンの村の景色と、現代の景色を比較して展示しています。面白いのが、昔の写真に写っていた村の子供や若い女性を、現代で見つけ出し、昔と今の姿と合わせて展示をしているのです。村の人家は何も変わらず、多くのロッジが何も無かった所に立ったのが良く分かりました。

 左中腹にマナンの村が見える。

5.08.2014

ヒマラヤ日記 13日目


今はマナンという大きな村からこれを書いてます。
時刻は午後3時頃。標高は約3500m。昼頃に到着しました。泊るホテルでWi-Fiのパスコードを購入して、幾つか仕事をこなしたのですが、天気が悪くなり、雪が降り始めたら、Wi-Fiも動かなくなりました。それで諦めてこれを書いている次第です。ロッジの部屋の窓からは、雪が降る寒々しい景色がなんだが良い感じです。今日の道もジープロードがメインでした。しょっ中、地元のバイクが走り去っては、土煙りをたてていきます。並行して山沿いに歩くルートもあるのですが、600m程のアップダウンがあります。ガイドさんに導かれるままに下の道を歩いてきました。途中小さな飛行場がありました。道沿いの景色は昨日同様素晴らしく、アンナプルナ3や、ギャンガプルナが左手に良くみえました。右手には、今回諦めたカンラパス方面の奥マナンの山々。前にはティリチョピークが見えます。朝、このティリチョピーク(7134m)に登るドイツ人の青年と朝偶然再開する事が出来ました。何日かけて、ピークまで行くのかと質問した所、4~5日かけてゆっくり高度順応しながら攻めると言っていました。無事登頂される事を祈りたいです。




5.06.2014

ヒマラヤ日記 12日目


今は翌日の朝5時30分。ロッジで起きた所です。昨日は、チャメからピサンという街まできました。標高は3200mほど。先を急ぐというよりもゆっくりと歩いて、2時頃には村に着きました。チャメからの道は、様々な年代の人たちが多く歩いています。人の多さと、若い世代の多さは、マナスルサーキットとは全く違います。途中出会ったスペイン人のカップルが、トレイルの風景をユタ州(アメリカの)みたいと言ってました。確かに、乾いた感じとか雰囲気が、まるで西部劇の舞台のようです。乾いた暖かい天気に風がとても気持ち良い小春日和な一日でした。ガイドさんいわく、この時期のアンナプルナサーキットは午後から強い風が吹くそうです。


 翌日のマナンまではジープロードだった(このジープどこから入ったんだろう。)

5.05.2014

ヒマラヤ日記 11日目


今はチャメという村のロッジでこれを書いてます。
時刻は午後3時。カンラパスを諦めて、ダラパニからアンナプルナサーキットを歩き出しました。ガイドさんとここで別れる事もできましたが、行程的にも余裕が出来たので、ユルハイクと割り切って契約日までガイドしていただこうよ。という由美子の言い分に乗って、せっかくなので満了日まで引き続きガイドして頂く事となりました。ダラパニから、今日到着したチャメまでは、ジープが入る事が出来ます。昔は、本当の意味でのサーキットという形で2週間程かけて、下からぐるりと回っていた道も、ジープでチャメまで着て、トロンパスを越えて次の村でジープを乗り継いで街まで帰る事も出来ます。ジープロードというのは存外つまらないものですので、こういったコースで歩く人が今は多いのではないでしょうか?アンナプルナサーキットへのアクセスを合わしても一週間程で歩ききれます。先ほどチャメ迄の道はジープロードと書きましたが、一応面白味を出すために、ジープロードとはまた違う山道を、ジープロードのショートカットとして用意してあります。所々急な山道とジープロードを交互に歩く感じです。村やロッジは至るところにあり、ゆるく、風が気持ち良いハイクを楽しみました。お昼ご飯を待つ一時間もお昼寝タイムと考えると丁度良い頃合です。歩く人も多くなり、マナスルサーキットのように、ポーター数名とガイドさんという組み合わせも減り、個人トレッキングや、グループにガイドさん一人というシンプルなハイカーが増えました。チャメの手間にあるコトという村で、パーミットのチェックと、ナー村、カランパスへと向かう分岐があります。両側を凄い高さの断崖に挟まれた道をゆくそうです。パーミットをチェックしている人に、ここ一週間でそっちに向った人はいるか聞いてもらった所、ナー村、プー村まで行って戻ってくるグループを昨日一組いたが
カンラパスに行った人はいないとの事です。
今日も午後になると天気が悪くなってきました。今日も高所は雪でしょう。チャメはWi-Fiが入ると聞いてよろこんでいたのですが、アンテナは立っているのに全くアクセスもダウンロードも出来ません…。今、霰が振ってきました。雷の音もします。急に荒れ模様の天気に変わりました。洗濯もして、ホットシャワー(温度調節が、凄く難しく、ポタポタとしか出ない)も浴びたので、食堂にお茶でも飲みにいきます。

 セーフドリンキングウォーターステーション

 ヒマラヤでペットボトルの水を購入する事を止めるように言われています。
どこのロッジや商店でもペットボトルの水を販売しているのですが、そのペットボトルがゴミになって問題になっています。アンナプルナサーキットでは、定期的に濾過した水を安く販売するセーフドリンキングウォーターステーションが設置されています。


 どの村もロッジが一杯だけど、ホームステイもまだ受け入れている所があるという事かな。

5.04.2014

ヒマラヤ日記 10日目


今ダラパニという村のロッジのベッドでこれを書いてます。
時刻は夜の8時。ダラパニとは水道水という意味らしいのですが、水道は通っていません。今日でマナスルサーキットは終わりました。 
人の暮らす地域を通過していく旅なので、ステルステント泊などは似合いません。逆に失礼でしょう。ロッジのベッドで起きる度にここはネパールなんだと毎度思い出しています。快適過ぎていつものミニマルな山の旅の暮らしとは異なります。

 
 ビンタンのロッジの部屋の窓からの景色

5.03.2014

ヒマラヤ日記 9日目


今はビンタンという村のロッジでこれを書いています。
時間は夕方の6時30分。とうとうラルキャラパスを越えてきました。朝4時30分に出発して、到着したのは5時。ものすごく疲れました…。

 高地のハイクをなめてました。
まだ暗い中出発して直ぐに、ガイドさんが道を間違えました。トレイルとはまた違う道に入りこんでしまったようです。GPSで場所を確認していた所、何処からか掛け声が聴こえてきます。僕達が道を間違えていることを教えてくれていたのかもしれません。ガイドさんが彼等に呼びかけて、道の場所を教えてもらって無事トレイルに戻る事が出来ました。彼等はネパール人の家族で、小さい子供をカトマンズの学校に送り届ける為に、ラルキャラパスを越えていくそうです。学校に行くのに凄い道のりです。途中ダルマサラというキャンプサイト(建物で眠れる部屋もある)で朝食を食べました。200m上がるのに一時間を目安にゆっくりと上がっていきました。景色は、壮大過ぎて言葉では上手く説明が出来ません。





5.02.2014

ヒマラヤ日記 8日目

今同は午後12時。同じロッジの食堂でこれを書いています。
昨日の夜高山病の薬ダイナモックスを二分の一づつのみました。この薬は利尿作用があるらしく、夜中に何度もトイレに行きました。朝起きると僕の小さな頭痛は無くなってましたが、由美子はまだ少し気持ち悪さを感じるといいます。食欲は全くない訳ではなく、オニオンスープと茹で卵を食べる元気はあるので、一日滞在して様子を見る事にしました。昼には由美子の気持ち悪さも無くなり昼食は割と普通にお互いに食べれそうです。



5.01.2014

ヒマラヤ日記 7日目



今は16時18分、
標高3875mのサマドという場所のロッジの食堂でこれを書いてます。とうとう今日マナスルサーキットの盟主、マナスルを通過しました。
日本人が始めて登頂した山です。これまで見てきた山々の景色も壮大で素晴らしいのですが、8000mを超える山をまじかで見ると、壮大さを超えて神々しくも感じるのです。 


 マナスル半端無くかっこ良い。気分が上がる。


上の方にある建物はゴンパ(チベット仏教のお寺)山の景色が良く見える場所に建てられている事が多い。聖山という事なのだと思う。山名はサンスクリット語で「精霊の山」という意味らしい。