5.03.2014

ヒマラヤ日記 9日目


今はビンタンという村のロッジでこれを書いています。
時間は夕方の6時30分。とうとうラルキャラパスを越えてきました。朝4時30分に出発して、到着したのは5時。ものすごく疲れました…。

 高地のハイクをなめてました。
まだ暗い中出発して直ぐに、ガイドさんが道を間違えました。トレイルとはまた違う道に入りこんでしまったようです。GPSで場所を確認していた所、何処からか掛け声が聴こえてきます。僕達が道を間違えていることを教えてくれていたのかもしれません。ガイドさんが彼等に呼びかけて、道の場所を教えてもらって無事トレイルに戻る事が出来ました。彼等はネパール人の家族で、小さい子供をカトマンズの学校に送り届ける為に、ラルキャラパスを越えていくそうです。学校に行くのに凄い道のりです。途中ダルマサラというキャンプサイト(建物で眠れる部屋もある)で朝食を食べました。200m上がるのに一時間を目安にゆっくりと上がっていきました。景色は、壮大過ぎて言葉では上手く説明が出来ません。






 ダルマサラ
 通常ここで最後泊まってからラルキャラパスに向かう事が多い。理由として、今回のように午後から天気が崩れる事があるから、午前中の早い時間に峠を越えるというのが最大の理由だと思う。 







 子供をカトマンズの小学校に連れて行く為に、峠越えをする家族。



全てが大きく、山の細部の細かさ、解像度が凄すぎるのです。
短絡的な表現ですが、ヤバイ、ヤバイヤバイ、ウォー‼︎と叫ばざるおえない景色なのです。
5000mという高地から6000~8000mの山に囲まれるというのは想像を越えた迫力なのです。

途中までは、ゆっくりと上がって来たこともあって余裕も感じていたのですが、行動し始めて、7時間程たってパスに近づいてくると高地による目眩のようなものや、これまで経験した事がないような疲れを感じました。僕は5000mという高度が身体に与えるダメージを軽く見過ぎていました。僕がこうなのだから由美子の疲れを考えるといたたまれません。僕が出来るのは荷物を持つ事だけです。ラルキャラパスさえ越えて、下りになれば、高地による疲れも無くなるはずだと信じて歩いてましたが、パスに差し掛かるころに天候が崩れて、雹が降り始めました。次第に雹は強くなってゆき、高地の寒さとダブルパンチで、パスを越えても油断ならない状況が続きました。雹の雲を抜けて、雪の斜面をトラバースして降りてきました。なかなかしんどい状況が続いたのですが、パスを越えた先にあるまた新しい景色の壮大さに心底ヤられたのも事実です。雲を突き抜けてそびえる山、氷河…。今日見た景色は、僕の記憶の中に無い、新しい迫力に充ち満ちていたものでした。ヒマラヤは怖くて凄い山だと改めて感じた次第です。


 ラルキャラパス



 雪雲を抜ける。


 ラルキャラパスを越えて。さらに新しい偉大な山々がそびえ立っている。

 氷河


 ビンタンの村(ロッジばかりですが)
ガスで見えないが西側からマナスルを一望出来るすごい展望がある。

今は午後9時。ベッドの中で書いてます。由美子は疲れ過ぎて寝込んでいます。一人で夕食のダルバートを食べて、スタッフルーム?に入れていただきました。昔ながらのティーハウスは、ロッジという名の新しい形態を取り、観光客とネパール人の場所を隔離したようです。スタッフルームには、ガイドさんやポーター、カトマンズに向かう先程の家族や地元の人がお酒を飲みつつ夜を楽しんでいます。誰でも仕事を忘れてゆっくとしたいのに、観光客がズカズカと足を踏み込むのを嫌がるのは当然だとも思います。ネパール人の憩いの場所は、ロッジのスタッフルームという形?で残っているようです。酔っ払た人の話しを英語で聞いていました。 「ネパールには、世界中の人が来る。私はネパールから出た事は無い。お金が沢山かかるから。でもネパールを愛している。この山と自然と、人の暖かさ。食事…。これは僕達の自慢なんだ。お金とはまた違う何かなんだ。」というような事を話していたように思います。彼はマッサージ師で売り込みも忘れずにしてましたが。
  
ガイドのスバシさんは、ガイドさんなのに地図もGPSも持っていません。これがネパールのガイドスタイルなのかもしれません(後日ネパールのガイドさんは地図を読めないと別のガイドさんに聞きました。)
山のガイドの価値観の相違もあるかと思いますが、日本の登山ガイドとは違って、山のガイドとしてはあまり信用は出来ませんでした。地図と行程に感しては、ほぼ完璧に頭の中に入っているようではあるのですが。でもネパールの案内役としては彼と出会って良かったと思うのです。