まずはじめに。
僕たちは、今回の旅の前にTe Araroaの事をろくに調べていませんでした。
最低限の地図とアクセス方法だけを調べて旅たった僕たちは、
歩きながら、Te Araroaの事を知り始めました。
僕たちは南から北へTe Araroaをセクション・ハイクしたのですが、そもそもTe Araroaは、ニュージーランドの北島の北端にあるCape Reingaから、南島の南端にあるBluffまで、北から南へ歩いて行くのが一般的な歩き方だったのです。スルーハイクに必要な情報も基本全て北から南へ歩いて行くルートに沿って書かれています。そして、Te Alaoaは、ジェフ・チャペルという一人の作家/ジャーナリストの夢が実現したロングトレイルである事を知りました。
ジェフ・チャペルは、Te Araroa TrustのCEOでありクリエイターです。1994年にジェフ・チャペルが新聞に発表したTe Araroaの構想から物語が動きだし、去年の12月にようやくTe Araroaは開通しました。ニュージーランドを南北に横断するTe Araroa3000kmのロングトレイルの内、約2300kmはこれまで存在したトレイル。個々のトレイルを繋いで一本のロングトレイルを作る為に、それぞれの土地の所有者と長年の交渉を続けて、新たに700kmのトレイルを整備したようです。実際にTe Araroaを歩いてみると、トレイルだけでなく、牧場など...ここは私有地では無いのか?という場所を何度となく歩く事がありました。
700kmという距離を新たに開通する為にどれだけの努力を積んできたのか....。山小屋に置いてあった雑誌のバックナンバーを注意深く見ていたら、ジェフ・チャペルの夢がTe Araroaというロングトレイルとして形になっていく様が、なんとなく伝わってきました。ジェフ・チャペルはこの夢を実現する為に、まずは自分自身がこの道を歩き、ジャーナリスト/作家として本や雑誌、ブログ通じて発表し、彼が持っていたTe Araroaという夢をたくさんの人と共有しながら、夢を実現していったようです。
写真は、街の図書館で見つけた2002年に出版されたジェフ・チャペルが仲間達とTe Araroaを歩いたときの記録です。その当時はまだ道は開通しておらず、トレイルをパッチワークを繋ぐように2600kmの道を歩いた様子が、ジョーク混じりにとても楽しい感じで書かれているようです。正直英語が苦手な僕は、ここに書いている事だけでも間違ってないかハラハラしているのですが、言葉が分からなくても歩く事によって身体を通じて理解出来る事もあるのだと思います。
このジェフ・チャペルの事を知ると、作家/バックパッカーとして信越トレイル80kmの創設に携わり、日本にロングトレイルの文化を熱心に伝えてこられた加藤さんの事が思い浮かびます。ニュージーランド政府はジェフ・チャペルの構想を財政的にも人的にも支援しました。何故、長い年月をかけて、ロングトレイルを作り出してきたのか...。私達ハイカーにとっての喜びである事はもちろんの事、ニュージーランドという一つの国を南北に歩いて横断する事によって、国全体の魅力を理解したハイカーが、未来に向けて、ニュージーランドという国が持つ自然と文化の魅力を伝えていく。一本の偉大な道を作り出す事で広がる国の可能性。ジェフ・チャペルはもちろんの事、支援したニュージーランド政府もまた素晴らしい投資をしたものだと思います。
Te Araroaの詳細なガイドブックも出版されています。ほぼ同じ内容もTe Araroaのwebサイトに上がっています。
出来たばかりのこのトレイルは、まだとてもフレッシュで、歩く人は正直少ないのも事実です。それでも出来たばかりのこの道を歩く為に世界中からハイカーが集まっています。少しづつこの刺激的なトレイルを伝えていきます。