7.16.2012

丹沢と堀山の家を振り返って。

僕が初めて丹沢の山を歩いた日の事。


僕がはじめて山にはまり始めていた頃。丹沢の山を巡って、ヤビツ峠から塔ノ岳を経て、大倉尾根を降りていく丹沢の表尾根縦走を歩いた。このトレイルは、東京からすぐに入れるトレイルとして、はじめて来る人に最高の山体験を約束する。山を始めたすぐの自分は、大汗をかきながら、都会が見せてくれない、人が歩く事によって得られる自然と感動の連続に打ちのめされた。山の頂から下界を見ると、東京も横浜も一緒くたに「都会」という固まりに見えてくる。それ以外は山だったり、海だったりする。自分の生活圏を風景の一景として感じた事は、その当時疲れきっていった自分の心にどれだけ大きなゆとりを生み出したのだろうと思い出す。

歩き、塔ノ岳を越えて、下山路で出会ったのがこの堀山の家だった。
疲れた身体を休める為に入った堀山の家は薄暗く、奥には薪ストーブがあり、その隣にあるテーブルには赤と白のブロックチェックのテーブルクロスが敷かれていた。頭を上げると鹿のドクロが飾られていて、天上にはオイルランプが小さく、ほのかに明かりを灯していた。何とも、その空間に入っただけで、僕が好きなセンスを感じた事を憶えている。疲れた身体に、この場所に出会えた高揚感をうれしく思いつつ、ビールを頼んだ。
僕の期待をさらに上書きするように、ビールだけでなく、「おでん」や「枝豆」を食べて。とつまみまでいただいた。ここは山に来る人にどこまでも優しくしてくれる。そんな場を作り出しているのだと良いショックを受けた。温かい堀山の家のお迎えに対して、一杯のビールで「おでん」も「枝豆」も食べ尽くす事は出来ない。薪ストーブの温かさに心の芯までほぐしていただきながら、もう一杯とビールを頼む。さらに一杯。気が付くと、随分と時間が過ぎていて、既に日が暮れはじめていた。ほぼはじめて山に入る初心者の僕は夜に向かいつつある山を下山する事になった。堀山の家は登山口から1時間半程の距離にある。
小屋を出る僕に、堀山の家は鐘を慣らして、帰る僕の帰路を祝福してくれる。じきに暗闇となった。誰もいない。はじめての山で夜を歩く事となった。高揚感は止まっていない。夜の暗闇の中を、何か大きな動物が目の前を横切っていく。白く光る尻が、それがシカだと認識した。やがて雨が降り出した。雨の中ではヘッドライトの光は、雨に遮られて光は遠くまで届かない事をはじめて知った。ヘッドライトはその当時ブラックダイヤモンドの一番小さなライトしかもっていなかった。大倉尾根の下山口の山小屋は山小屋の中を突っ切るようにトレイルが作られている。はじめて歩いた僕は、暗く、誰もいない雨と闇の中、トレイルも良く見えず、本来はその先に実際のトレイルがあるにもかかわらず、そのトレイルを通らず、道を踏み外した。行けば行く程トレイルで無い事を実感しながらも、闇と雨に押されながら前に進んでしまった。森林で働く人が使う、微かな踏み跡をたよりに、それが人が作り出した道である事を信じて進んでしまった。運が良くその踏み跡は道路に繋がっていた。道路に出る頃にはその道がトレイルと外れている事は気がついていた。道路に出て、闇の雨の中、どこに行けば良いのか分からず、一人道を歩き、家を見つけ、失礼ながらドアをたたいた。
「バス亭はどちらにあるでのしょうか?」
今では丹沢のこの道は夜でもヘッドライトの光をあまり灯さずとも歩く事が出来る。でも、はじめて体験したこの夜の事と道を踏みずした事は忘れない。