12.24.2012

遊歩大全 The New Complete Walker



遊歩大全 The New Complete Walker コリン・フレッチャー著 芦沢一洋訳

出だしがとても良い感じ。1000Pにも及ぶ名作を復活した山と渓谷社に感謝。
大半は道具の話との事。 また始めから最後まで通読するよりも、気ままに開いたページを読み進めるスタイルでいいらしい。


12.04.2012

ハイカーズパーティ 2012PCT報告会

今年もハイカーズデポ主宰のハイカーズパーティ日本人ハイカーが見た2012PCTに参加してきました。PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)はアメリカの三大トレイルの一つ。西海岸をメキシコ国境からカナダ国境まで4000km以上続く超大なトレイルです。


(左)ハイカーズデポ長谷川さん
  
先月開催した鎌倉ハイカーズミーティングでもPCTのスライドショーをしていただいたハイカーズデポの長谷川さん曰く、日本人は毎年1〜2組が挑戦すれば良いほうで、日本人がスルーハイクしない年もあるとの事。日本人が8人も歩いてきた今年(全員がスルーハイク達成という形ではないにせよ)すごい出来事だったようです。

当日は、PCTを歩かれた8人のハイカーのうち、5人が参加されました。一人は遠く広島から駆けつけた人もいました。毎年恒例のフリーフード、フリードリンクで呑んで食べて、ハイカー同士交流して、ある程度暖まってきた所で、今年の報告会もスタートしました。まずは長谷川さんからPCTの簡単な説明があり、その後に、5人のハイカーのPCT思い出の写真ベスト3枚とその思い出を話していただく流れで進んでいきました。

参加された方々の話を聞いていると、思った以上に様々な事に未経験な方が多かった事にすごく驚きました。





Taka(タカ)

頭はモヒカン。今回のPCTがはじめての海外旅行だったというのがまた驚きです。パスポートを作る所から初体験だったそうです。ハイカー同士のコミュニケーションとして「No Beer No Hike」を合い言葉に呑みコミニケーションをとってこられたそうです。
山と道でも、PCTを歩かれていたハイカーネームTakaさんこそ、根津さんのブログをリンク張らしていただいています。ハイク中の写真とこぎれいなご本人のギャップがすごすぎですw



  Keiichi(ケイイチ)

最年長のケイイチさんは、定年を迎えられています。長年シエラネバダを歩く事を夢見てこられたケイイチさんは、元々はJMTを歩く事を目標とされていたそうなのですが、 PCTがシエラネバダを通過して、JMTのルートもほとんど同じように歩く事を知り、長い時間もとれるからと、PCTを歩く事に決められたそうです。記憶が正しければ、これまでテント泊もされた事が無かったそうです。どなたかの質問に、途中辛くなって帰りたくなった事はないか?というような主旨の質問に対して、一度も帰りたいと思った事な無く、憧れの場所を目指してずっと歩いていた。というような事を返されていた事が強く心に残りました。


June(ジューン)(右)

今回唯一の女性ハイカージューンさん。これまでに2度JMTを歩かれるなど、多分参加されたハイカーの中では一番歩いてこられた経験がありそうな方でした。女性ならではのロングハイクの悩みなどいろいろと相談にのってくれそうです。今回はゆっくりと楽しみながら歩いていたら、後ゴールまで数日という所で、大雪が降りはじめ、山が一気に雪山へと変貌してしまったため、トレイルランシューズというハイカー装備しか持っていなかったジューンさんはスルーハイクを断念。せめてとゴールだけは見てこられたそうです。
スルーハイクは自己申告なので、途中スキップして全てのトレイルを歩いていないハイカーも多いとも話していました。

Gnu(ヌ)

 ヌさんは、渓流釣りはするけれども、山を歩かれた経験はあまり無かったそうです。山装備も今回のPCTの為にはじめて購入されたものがあったとの事。途中足を疲労骨折するなど、いくつもの試練を乗換えてスルーハイクされたそうです。

Nino(ニノ)

広島から駆けつけてこられたニノさん。テントの変わりにタープを持っていたけれども、タープも数回しか張る事がなく、ほぼ全てを焚き火をたいてカウボーイキャンプ(テントもタープも張らずにグランドシートを敷いて地面に直接眠るスタイル。星空の下に自然をダイレクトに感じる。)で過ごされたそうです。ずっと話の中で、「気持ちよかった。」「楽しかった。」を連呼されていました。


5人の写真の中にはそれぞれ内容は違うにしても、3枚の写真の中の一枚以上に、街に降りた後の写真が含まれていました。山の魅力だけでなく、ハイカー同士の交流、トレイルエンジェル(ハイカーを支援する人達。飲料や食料、宿泊施設を無料で提供するなどのサポートを行う。過去に自身がハイカーだった方も多い。)のサポートなど、山も街も含めて、ロングトレイルという旅を思う存分に味わってこられたようです。5月間に及ぶ長いハイクの途中、怖いと思う事も無く、日本よりも全然歩き易かったそうです。
*日本に帰ってきてから信越トレイルなどを歩いたら足が痛くなったともおっしゃっていました。

イベントの後は、三鷹でおなじみの居酒屋栄ちゃんに移動。遅くまで呑んで話をしてきました。山の魅力だけでなく、アメリカで産まれて育ったバックパッキング、ハイキングを取り巻く文化そのものがとても魅力的なのでしょう。今ようやく70年代のバックパッキング革命が蘇り本質的に理解され浸透していくのかもしれません。

日本の山よりも全然歩き易く、ただ長く長く、山を旅するトレイル。 そのトレイル上には、同じゴールを目指す世界中から集まった数百人の仲間達がいる。出会ったり、分かれたりとを繰り返しながら、大きな一つの旅を共有し、5月間を過ごしていく...。
けっして冒険的ではないにせよ、参加する事によって得られた経験は、なにものにも かえられないものなのでしょう。

そういえばイベントの後の二次会でお話を聞いていたら、現地ではアルコールよりもガスの方が今は入手がしやすい。とも話を聞きました。であるならば、後はどの燃料を選ぶかはどのスタイルが好きかで良いのかもしれません。5日以上のハイクであれば、燃料の消費量の大きさから、ジェトボイルチタンの方がアルコールストーブよりもより軽量になるという報告もあります。





11.30.2012

北アルプス9日間 親不知〜上高地 DAY8 - DAY9

DAY08

雲ノ平〜槍ヶ岳

朝おきると雨が降っていた。
止まないかと少しゆっくりと待ってみたが、いっこうに止む気配も無いので、2人で出発する事にする。天気も悪いので鷲尾岳経由ではなく、黒部源流をこえて、三俣山荘にまずは向かう事にした。



日本庭園は花も多く、雨と霧の中を歩く事になったが気持ちよかった。
雨はそのうち、降ったり止んだりの天気に変わっていく。 
標高の高い場所で雨がふり、風が出て来ると、体感温度は一気に下がっていく。
上下にレインジャケットを着込んで歩く。


黒部源流をわたり、三俣山荘へと登って行く途中、いきなり嫁のかぶっていた帽子が風に飛ばされてしまった。稜線でも無く、そんな風が吹いているいるようにもまったく感じなかった。何故か嫁の帽子だけが風に奪われて、はるか遠くへと運ばれていった。不思議な出来事だった。


三俣山荘につくと、後少しで御飯が食べられるとの事だったので、少し待ってラーメンを食べる。そして、ようやく黒部の山賊を手にいれた。黒部の山賊は、三俣山荘、雲ノ平山荘をはじめとした北アルプスの黒部源流域の山小屋を切り盛りされてきた伊藤正一さんの著作。昭和39年に出版された本で、戦後の北アルプス、黒部源流の魅力をじっくりと知る事が出来る。黒部の源流域に住んでいると恐れられていた山賊と共に、山小屋を立て直していく話は痛快で、ユーモアもあり、今では姿も見なくなった?妖怪やカッパが黒部源流域に住んでいたという話も面白い。読み終えてみると、帽子を奪っていった風も目に見えない妖怪の一つなのかなとも思うと面白くなる。


三俣蓮華には登らず巻き道を行く。ガスで稜線の見晴らしが良くないという理由だけでなく、三俣蓮華の巻道のトレイルがとても気にいっている。双六小屋で少し休憩して、西鎌尾根を歩きはじめる頃には雨も上がり、ガスはあいかわらず出ているにしても、見晴らしも良くなってきた。



見晴らしがいいと本当に気持ちが良い西鎌尾根。新穂高から鏡平経由で来るのもいいハイクを存分に味わえそうだ。


 槍ヶ岳。登り始めの所でグロッキーぎみの嫁と離れて、テント場を確保する為に一人だけ槍ヶ岳の小屋まで上がっていく事にした。


 山荘で受付をすると、テントを余裕を持って張れるスペースは後一つしか空いていなかった。早く上がってきて正解だった。これまで歩いてきた北アルプスのテント場と、槍ヶ岳、穂高の稜線のテント場はまったく違う。本来テント場として使われないだろう、稜線沿いの狭い場所がテント場になる。張る場所も受付時に決める事になる。狭く、強風から逃げる場所も無い。嫁が上がってくるまで山荘で御飯を食べて待った。 本当は槍ヶ岳山荘のカレーを食べたかったけど、食べられる時間を過ぎてしまっていた。

90分程たって嫁が山荘まで上がってきた。翌日から穂高を通って新穂高まで行きたいと思っていたけど、天気もあまり良くない予報になっていた。嫁の体調も優れないので、明日はゆっくりと上高地に下山する事にした。山は逃げない。次に来たときに歩けばいい。


DAY09

槍ヶ岳〜上高地


朝起きると朝焼けは無事見る事が出来たけど、すぐにガスが山を覆い出した。ガスの中を大勢の登山客が大キレットに向けて歩いていく。

ガスが晴れるのを山荘で待っていると、ガスが晴れる一瞬があったので、急いで槍ヶ岳の山頂へ登る。そして上高地へと降りていった。途中でまた雨が降ったり止んだりの天気に戻る。下山して徳沢園でカレーを食べる。バスで平湯まで行って温泉に泊まる。9日間のハイクも終わった。

歩けば歩く程遠くに行きたくなる。
次は南アルプスと北アルプスを繋いで歩いてみたいと思う。
帰ってきてハイク中に撮りためた連続写真を繋いで作ったのがこの映像。
僕のブログの文章よりもハイクの気持ち良さや雰囲気を少しでも
形にしたくて作りました。


おしまい。
 

11.23.2012

北アルプス9日間 親不知〜上高地 DAY6 - DAY7

DAY6

ロッジくろよん〜奥黒部ヒュッテ



ロッジくろよんから、平ノ小屋までの道は、思っていた以上に気持ち良かった。午前中の気持ち良い光が溢れる中、静かな湖畔沿いの道をずっと歩いていく。



平ノ小屋の近くで、渡し船を見つける事が出来た。渡し船が動いていないかもしれない。という謎も昨日分かった。黒部ダムからこちらの方面に入るのに黒部ダムを管理する東電による通行止めの看板が貼ってあったのだ。実際に通行止めとしているのはこの道では無いみたいだ。


 渡し船が出るまでに時間があるので、雨で濡れたテントを乾かして少し昼寝をする。

 そのうちに、五色ヶ原方面から女性2人組が下りてきたので、干しているテントやザックを片付けて少し話しをした。立山から薬師岳を回って黒部ダムに下りて来る予定が、トレランシューズを履いてきたところ、途中で足をくじいてしまったらしい。計画を中止してテーピングを巻いて五色ヶ原から下山してきたようだ。本当は登山靴を履いてくる予定が、登山シューズが壊れた為にトレイルランで使っているシューズを履いてきたと話をされていたように記憶している。背負っている装備もUL装備ではなさそうだ。重たいバックパックにローカットのシューズは相性が悪いようだ。僕も今回のハイクでモントレイルのマウンテンマゾヒストを履いていたが、正直良いとは思えなかった。これはこの靴が悪いというわけではない。(事実好きで今の靴は二代目)岩場が多く、道が不安定なアルプスなどのトレイルで背負うバックパックが重たくなると、柔らかいソールのトレイルランシューズでは、石の突き上げなどを均等にシューズ全体に伝えるだけの剛性が足り無い。結果的に足に負担がかかり膝や他の箇所の故障に繋がる。僕の経験だと8kgを越えてくると靴との相性が悪くなるように感じる。これが奥秩父などの土のトレイルだとどうかというと、10kgでも問題無く気持ち良く歩ける。これは自分の体重や筋肉の強さなどにも大きく影響があると思うので一概にはいえないが、体重が重たい大きな人はより強い剛性の靴が必要になるだろう。体重と靴の関係については身体の大きな村上教授の「野宿大全」でも指摘されている。歩く場所と背負う重量で気持ち良く歩ける靴選びも変わってくるという事を強く意識する事になった。

*少し補足を追加してみます。土のトレイルだと靴底全体で地面をとらえる事が容易なのですが、岩場歩きだと、岩の出ている部分に足を乗せる形になるので、バランスがとりにくい。バランスを補う為にへんに足に力が入る。靴の剛性が強いと靴全体に力が分散されるのでバランスもとりやすい。また荷物が軽ければ、バランスをとるのもあまり無理がかからない。それでも、歩き方が上手ければ解決する問題でもあると思います。僕の歩き方がまだヘタだから出て来る問題でもあります。

  話をしていた女性ともバックパックの重量が軽ければ問題ないけれども。という話になったので、試しに山と道のザックを背負ってもらう。軽さと背負いやすさに感動してもらえたのか、これなら走れると言ってくれた。靴も登山靴ではオーバーなので、アプローチシューズなどの剛性のある靴などが良いのかな。という話も出てきた。確かにFIVE TENなどのアプローチシューズというのはアルプスなどの岩場を歩くのに良いアイデアかもしれない。でも通気のあるトレランシューズも捨てがたい。という場合には剛性の強いスポルティバのラプターとかも良いだろうか。今まで漠然と感じていた事が長く歩く事で色々と整理されて自分の理解へと導かれるのはとても面白い。



 渡し船の時間になったので、お先に失礼して、船に向かった。今回のハイクを黒部経由にした理由の一つがこの渡し船だ。長いハイクの途中で船に乗り対岸に渡ってハイクを続けるっていいでしょ。乗船したのは自分だけ。船を動かすのは平ノ小屋のご主人。釣り竿を黒部湖にたらしながら、ゆっくりと船は進んでいく。対岸には多くの団体さんが船を待っていた。船から下りて黒部の深部奥黒部へと入って行く。



インターネットの情報では、ロッジくろよんからこちらの道は梯子も多くて面白くないような事が書かれていたような記憶もあるが、実際に歩いてみると、自分にとっては最高のハイキングトレイル。どおってことの無い道だけどすごく気持ちよかった。自分は土や森が好きなんだな。と改めて思う事になった。



午後前には奥黒部ヒュッテに到着した。今日はもう動かない。このハイクはじめての休息日。昼間からビールを飲んでゆっくりとテントの横で昼寝をして、裸足であたりをうろついて、川で靴を洗ったり、水浴びをして楽しんだ。


DAY7

奥黒部ヒュッテ〜雲の平

とうとうこのハイクも後半へと進んでいく。
読売新道は長く辛いといろいろな所で聞いていたので朝日が出る前に歩きはじめた。



読売新道聞いていた印象と全然違っていた。登りやすいし、歩き易いし、森の雰囲気も良くて、すごく気持ちよい。




 一気に稜線まで上がりきる。振り返れば、これまで歩いてきた山々が遠くに見える。遠くの遠くのさらに遠くの山の向こうから歩いてきた。もうハイクが気持ちよすぎて、叫びながら歩いていた。ヤホー!!




心はウキウキで水晶岳を目指す。右には嫁との合流地点の雲の平も見える。
右下には秘湯として有名な高天原も見える。高天原は上から見るとなかなか良い雰囲気。
ただ、ここから下りてまた登り返す気にはならないので先に進む。
水晶岳からは100名山を目指す登山者が多くなる。自分一人の時間も終わりを告げた。



 水晶小屋でカップヌードルを食べる。嫁はもう雲の平に着いている頃だろうか。と考えながらビールも飲む。
 

 鷲尾岳の分岐の所にさしかかると天気が急に悪くなり、雨がふりはじめた。風はあまり出ていなかったので、雨に関しては傘だけでも十分だったが、少し寒くなったので、上だけレインジャケットを着て歩く。祖父岳を越えて、雲の平が見えてきた。雨も上がり、テント場を見ると遠くに嫁が持ってきたクフの白い三角形がはっきりと目立つ。他にこんなシェルターを持って来る人はあまりいないだろう。






 嫁と一週間ぶりに合流して新しい食事を楽しんだ。写真はBooさんのブログを参考にしたと聞いたコンビーフとクリームチーズのカナッペ。美味しかった。嫁は昨日の薬師岳で山と道のサコッシュを使っている方と会ったと楽しく話しをした。その方は鎌倉ハイカーズミーティングにも遊びにきてくれた。僕もそんな出会いを山でしてみたいものだ。

つづく。

11.22.2012

北アルプス9日間 親不知〜上高地 DAY4 - DAY5

DAY4

祖母谷温泉〜仙人温泉小屋


 夜のうちに着ていた服を洗濯してテントに干した。奥に見えるのが露天風呂


祖母谷温泉。けっこう広い露天風呂。まったりとしてかなり気に入りました。夜も入って、朝も入って。源泉掛け流し掛けの天然温泉。こちらのサイトにも詳しくのっていました。

 
祖母谷温泉は欅平駅から歩いて40分程。すごい所まで電車がきている。
この駅の裏から水平歩道に入る。駅の立ち食いソバを食べたいなと思ったが朝早くやっておらず。駅で本日泊まる予定の仙人温泉小屋に連絡をして予約をする。欅平から遠いので到着が少し遅くなるかもしれませんとお伝えして向かう事にした。



 前から歩いてみたいと思ってた水平歩道。黒部ダムを作る為に作られた山道。


 左は数百メートルの断崖でも、道幅は1mほどあるので、怖いと思う事は無かった。
けっこう人も歩いている。この先の下の廊下も歩いてみたかったが、8月下旬はまだ残雪が多く9月末頃に開通されるらしい。また去年起こった地震による岩崩れでその当時はまだ復旧工事が進んでいる所だった。

 13km程歩くと阿曽原温泉小屋に着く。この小屋で情報収集をしてみると、去年の地震の影響で黒部湖を横断する船が動いていないかもしれない。なんて情報がお客さんから出てきた。小屋の人も知らないらしい。近いようでそんな大事な情報も共有されていないものかと少し唖然とした。後、自分も大きな勘違いをしていて、黒部湖の渡し船の出発場所を観光船が出る黒部ダムと勘違いをしていた事が分かった。本来はそこからコースタイムで3時間程歩いた先にある平の小屋が渡しの場所だった。地図を良くみれば分かる事なのに、ついうっかりと思い込んでしまっていた。翌日仙人小屋から奥黒部ヒュッテまで移動したいと考えていたが、時間的に難しい事と、万が一黒部の渡し船が動いていない場合には平の小屋から五色ヶ原に登って、嫁との合流地点の雲ノ平に向かおうと思った。明日一日で奥黒部ヒュッテまでの移動はなかなか難しいという事は分かったので、嫁に電話をして(今思えば平の小屋に電話して渡し船が出ているかを確認をすれば良かった。)雲ノ平の合流日を一日ずらす事にした。


 阿曽原温泉小屋を出て、仙人ダムを抜ける。これがなかなか良い雰囲気。
こんな細い道の途中でいきなり線路が出てきたりする。ちょっとしたラビリンス(迷宮)。ダムに付随する建物の屋上に登って、裏手の山から裏劔を目指す。地図では急登。梯子も多くけっこうワイルドな道。その日は今回のハイクで唯一小屋泊まりにしていたので、夕食の準備にあまりご迷惑をおかけしないように、出来るかぎり急いで登った。コースタイムは4時間程だったが、思ったよりもサクサクと足は進み2時間程で仙人温泉小屋が見えた。


 何も無い山の中腹にある温泉小屋。15:00に着いて良かった。食事を予約している場合には、小屋の人は15:00頃には食事などの準備を開始しないといけないので、基本早く小屋には到着しないといけない。遅く着くと、そのあたりの算段が狂ってくる。なので遅く着く際にはその事を伝えないといけない。その日は他に3人の予約があったらしいが到着する事は無かった...。


宿泊客は僕を含めて2人だけ。小屋のお手伝いにこられているボランティアのおじさんと4人で食事をした。小さな小屋はアットホームで、小屋番の人しか知らないような面白い話が聞ける。例えば冬に仙人温泉小屋で冬ごもりをする熊の話とか、いろいろな山の写真に混じって異色でひときわ目立っている女性の写真を指摘すると、あの山田べにこさんだったりとか。

洗濯機もあったので、帽子やらいろいろと洗濯をさせていただき、御飯の後も星を見ながら長風呂。とても贅沢な夜を過ごせた。二日続けての温泉三昧。小さな小屋はいい。


DAY5

仙人温泉小屋〜ロッジくろよん

今日は当初よりも行程を短くしたので、出発を少し遅くして、朝風呂を楽しんでから歩きはじめた。仙人温泉小屋から少し登ると、仙人池に出る。


あいにくちょうど裏劔にガスがかかっていて見えなかったが、仙人池から見る裏劔は絶景で、この裏手にある仙人池ヒュッテで数十泊もする人もいるらしい。


少し歩くと裏劔の絶景が見えた。今日は山をいくつも越えて黒部ダムまで歩く日。
裏劔に近づいた所で、劔沢まで下りてまた登る。



所々良い所もあるが、正直面白くない...道が続く。道行く人には沢ヤも多い。
黒部ダムに近づくにつれて小雨が降り出した。下ノ廊下の合流地点で下ノ廊下方面から上がってくる人達の群れが見えた。足が早い。じきに追い抜かれた。ヘルメットをしている人もいたので、どうやら下の廊下の復興工事をしている人達だと分かった。


大きな川を渡る時に、はっと横を見ると唐突に目の前に黒部ダムが現れた。山の渓谷の1面を埋める途方も無い大きな壁。上手く説明が出来ない。すごくSF的な感覚。大自然の中にぽっかりとグレーの人工物が空高くまで視界の一部を埋めている。壁からはものすごい量の水が放出されている。その前を横切って黒部ダムを越えてその向こうに歩いて行くのだ。と思うとワクワクする。


 どこから黒部ダムに入るのだろうと。思っていたら、期待を裏切らないようなとても怪しい入口があった。まるで戦争映画に出て来るような要塞の入口。気分はスパイ。


抜けると、


ただの観光地...。みんな格好がきれいすぎる。汚い自分の格好を隠さねばと、またもや心が落ち着かない。最終バスの出発を尻目にロッジくろよんへと歩く。

 朝のロッジくろよんのテン場
前はテントの人もお風呂に入れたらしいのですが、
心の無い人がいたので廃止にしたと言っていました。

ロッジくろよんのテント場に着くと、キューベンファイバーを使ったダブルウォールで世界最軽量のテントだと聞いているTerra Nova Laser Ultra 1が一つ張ってあった。山でULな人はほとんど見かけない。どんな人が使っているのか興味新々だった。夕方を過ぎると雨も強くなった。

朝方の食事どきに出てきた人は、なんとおじいさんだった。てっきり若い人が出て来るのだと思っていた。九州は長崎の人で、山と道の事は知らなかったが、軽さへのこだわりは感じる。足下はモントレイル。それも長年の経験の中で軽くなり今にいたっているのだろうと感じた。長く遠くまで歩かれるスタイルもやられているようだ。リアルU.L.おじいさんハイカーに出会えた事はうれしかった。自分の使っている道具にも興味を持ってくれた。もっと話をして、RayWayやU.L.のカルチャーを知っている人なのか聞いてみたかった。


つづく。